20世紀・シネマ・パラダ
イス
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M
M
– Eine Stadt sucht einen Mörder
監督:フリッツ・ラング
(1931年/ドイツ)
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◆ 犯罪映画
の古典的名作
「包丁を持った男が、あなたをバラバラにしちゃう…」。広場で遊んでいる子
供たちが不吉なことを歌っている。街には「殺人犯の情報提供者に10000マルク」の張り紙が。 |
この街では、幼い少女ばかりを狙った連続殺人事件が発生していた。そして、また1人の少女
が犠牲に…。 |
「まだ終わりではない」。犯人からの手紙が新聞社に届いた。幼い少女と話を
しただけで犯人扱いされるなど、街は一種のパニック状態に陥っていた。警察は指紋・筆跡鑑定、地取り、聞き込み等々、懸命な捜査をしていたが、一向に手掛
かりが掴めず、夜の街の一斉捜査に着手した。 |
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警察の厳戒態勢の捜査により、商売があがったりとなった暗黒街の
顔役たちは、自分たちの手で殺人犯を捕まえようと一致団結した。
警察の方は、精神病院を退院して間もない人間を一人一人虱潰しに当る捜査を開始していた。
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盲目の風船売りが口笛の音色を聞いて思い出した。前に少女が殺された日に聞いた曲だ。
口笛を吹き、少女を連れた男が怪しい。あの男を見失うな!
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口笛の男の後を追った青年は、手のひらにチョークで‟M”の文字を書き、口
笛の男の肩に押し付けた。
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その頃、警察も精神病院退院者の捜査が功を奏し、殺人犯の尻尾を掴んでいた。追いつめられ
ていると知らずに少女を連れ回す殺人犯…。
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少女に指摘され、鏡で自分の肩を見た殺人犯は、‟M”の文字に気がついた。
尾行されていたことも知った殺人犯は、オフィスビルの中へ逃げ込んだ。
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殺人犯は最上階の倉庫の中に隠れた。手下から通報を受けた暗黒街の顔役たちは、警察には知
らせずに、自分たちで殺人犯を捕まえることにした。
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暗黒街の一味がビルを占拠した。そして、倉庫に隠れていた殺人犯をついに取り押さえた。
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警報ベルにより警察が到着した時には、ビルの内はもぬけの殻で、
地下で作業をしていた金庫破りの
男だけが捕まった。
暗黒街の一味は、警察の目を欺くために、ビルを占拠したのは金庫を破るためと見せかけたのだった。
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金庫破りの捜査に行き詰った窃盗課は、殺人課に協力を求めた。殺
人課の刑事は、ビルの警備員の1人が死んだとカマをかけた。すると、金庫破りの男は、刑事が思ってもみなかったことを自白した。
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その頃、暗黒街の一味は、殺人犯を廃墟ビルに連れ込んでいた。
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盲目の風船売りが殺人犯の肩を掴み、この男に間違いないと証言した。
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殺人犯はあくまでもシラを切り通した。暗黒街の顔役は、殺された少女たちの写真を次々と見
せ、問い詰めていった。
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廃墟ビルの中で裁判が始まった。
殺人犯の訴えを聞いた弁護人は、被告は強迫神経症であり、罪の責任は問えないので病院へ送るべきだと主張した。
弁護人の主張に納得のいかない者たちが、殺人犯に襲い掛かろうとしたその時…。
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『M』 予告編
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◆ 鑑賞メモ
・ドイツの巨匠フリッツ・ラング監
督の初のトーキー作品。
‟M”は独語で殺人者を意味するMorder
の頭文字。ラング監督と当時の妻テア・フォン・ハルボウが共同で脚本を執筆した。
(右の写真)撮影時のラング監督(カメラの左)
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・後の犯罪映画に多大な影響を与えた第1級の作品。ラング監督自身のお気に入りの作品でも
あり、淀川長治さんが会談した際に、『M』の話をしたら、大変喜んだそうです。
(左の写真)撮影時のラング監督 (中央)
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◆ ピック・
アップ … ピーター・ローレ
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Peter Lorre 1904-1964 (ハンガリー)
・映画出演3作目の『M』で、不気味な殺人犯を演じて注目を集めた。ユダヤ人だったため、ナチスが台頭すると、パリ、ロンドン、アメリカへと移転した。
・個性派俳優として多くの作品で印象に残る名演・怪演を残した。
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・ローレが日本人探偵に扮した『ミスター・モト』
シリーズは、1937年から1939年までに合計8作品が製作された。 |
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・アカデミー賞作品賞を受賞した『八十日間世界一周』(1956
年)においても、日本人役として登場。日本人としてはチョット微妙な気持ち?
(左の写真)『狂恋』(1935年)出演時
・1964年、59歳で他界。
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