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       20世紀・シネマ・パラダイス 
       
       
        
      
      
        
          
             
            赤狩り時代のハリウッド (2) 
             
             
            ‟ハリウッド・テン” 〜 追放された10名 
             
            
             
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            |  下院非米活動委員会の聴聞会(1947年10月)において、憲法修正第一条を盾に証言を拒んだ10名は、議会侮辱罪で告訴された。 | 
           
        
       
       
      
       
      
        
          
             アメリカ映画協会(MPAA)の会長エリック・ジョンストンと映画会社の幹部たち47名が、ウォルドルフ・アストリア・ホテル(ニューヨーク市)において会談した後、議会侮辱罪で告訴された10名は、無罪となるか、自ら共産主義者ではないと誓わない限り、映画界から追放するとの声明を出した。 
             (右の写真)エリック・ジョンストン(左)とルイス・B・メイヤー | 
              
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            |  議会侮辱罪で告訴された10名は有罪判決を受け、最高裁に上訴したが判決は覆らず、1950年、半年ないし1年の禁固刑が確定。投獄され、釈放後も檜舞台への復帰は叶わなかった。 | 
           
        
       
       
      
        
          
             
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            (前列左から)ハーバート・ビーバーマン、弁護士、弁護士、アルバート・マルツ、レスター・コール 
(中列左から)ダルトン・トランボ、ジョン・ハワード・ローソン、アルヴァ・ベッシー、サミュエル・オーニッツ 
(後列左から)リング・ラードナー・ジュニア、エドワード・ドミトリク、エイドリアン・スコット | 
             
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                  ハーバート・ビーバーマン (1900-1971年/監督・脚本家) | 
                   
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 追放・釈放後に監督した『地の塩』(1954年/自主製作)は、アメリカ国立フィルム登録簿に登録(1992年)されるなど、高く評価されている。妻は『風雲児アドヴァース』(1936年)でアカデミー賞助演賞を受賞したゲイル・ソンダガード。彼女もブラック・リストに載り、『ハリウッド殺人事件』(1970年)で檜舞台に復帰するまで干されていた。 
 (右の写真)ハーバート・ビーバーマン、ゲイル・ソンダガードと子供たち | 
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アルバート・マルツ (1908-1985年/脚本家) | 
 
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             『海兵隊の誇り』(1945年/主演:ジョン・ガーフィールド)でアカデミー賞にノミネート。『裸の町』(1948年/主演:バリー・フィッツジェラルド)もノミネートされたが、彼の名は削除され、共同脚本家だけが候補者となった。 
 追放・釈放後、友人名義で発表した『折れた矢』(1950年/主演:ジェームズ・ステュアート)が全米脚本家協会賞を受賞。没後の1991年に受賞者名が訂正され、名誉が回復された。 | 
              
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             『東京スパイ大作戦』(1945年/主演:ジェームズ・キャグニー)等の脚本を執筆。 
 追放・釈放後、偽名で執筆した『野生のエルザ』(1966年)が代表作となった。亡くなるまで筋金入りの共産主義者だったという。  | 
              
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 | ダルトン・トランボ(1905-1976年/脚本家・監督) |  
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             『恋愛手帖』(1940年/主演:ジンジャー・ロジャース)でアカデミー賞にノミネート。スペンサー・トレイシー主演の『ジョーという名の男』(1943年)、『東京上空三十秒』(1944年)といったヒット作の脚本を執筆していた。 
 追放・釈放後は、アメリカ映画協会未加盟の弱小会社の脚本を執筆(報酬は安く、名前もクレジットされない)し、糊口を凌いでいた。 
             (右の写真)聴聞会でのダルトン・トランボと妻 
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            |  偽名で執筆した『黒い牡牛』(1956年)がアカデミー賞原案賞を受賞。カーク・ダグラス製作の『スパルタカス』(1960年)で檜舞台に復帰した。 | 
           
        
       
      
        
          
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             自ら執筆した小説の映画化作品『ジョニーは戦場へ行った』(1971年)では監督も務め、その後、『パピヨン』(1973年/主演:スティーブ・マックイーン)、『ダラスの熱い日』(1973年/主演:バート・ランカスター)等の脚本を執筆した。 
 1975年、アカデミー協会より、彼の名を刻んだオスカー像(『黒い牡牛』の原案賞)が贈呈された。 
 (左の写真)オスカー像を贈呈されたダルトン・トランボ。アカデミー協会会長ウォルター・ミリッシュ(後)と 
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 没後、友人名義でアカデミー賞原案賞を受賞していた『ローマの休日』(1953年)の作者であることが判明し、1993年、未亡人にオスカー像が贈呈された。 | 
           
        
       
       
       
      
        
          
            
            
 
 | ジョン・ハワード・ローソン(1894-1977年/脚本家)  |  
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             ハリウッドの脚本家組合(1933年設立)の代表でもあった。『封鎖線』(1938年/主演:ヘンリー・フォンダ)でアカデミー賞にノミネート。他に『カスバの恋』(1938年/主演:シャルル・ボワイエ)等がある。 
 ‟赤狩り”終焉後は、いくつかの大学で講師を務めた。
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 | アルヴァ・ベッシー(1904-1985年/脚本家・作家)   |  
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             スペイン内戦時、共和国派の義勇兵としてフランコ将軍率いるファシスト派と戦い、その時の体験をノンフィクションとして出版。映画の仕事では、『決死のビルマ戦線』(1945年/主演:エロール・フリン)でアカデミー賞にノミネートされた。追放・釈放後に執筆した小説「The Symbol」は、TVドラマ「セックス・シンボル/マリリン・モンローの赤裸々な生涯」(1974年)となった。 
 (右の写真)スペイン内戦時のアルヴァ・ベッシー 
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 | サミュエル・オーニッツ(1890-1957年/脚本家・作家)   |  
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             ノンクレジットではあるが、『模倣の人生』(1934年/主演:クローデット・コルベール)等の脚本に携わった。 
 追放・釈放後に執筆した小説「安息日の花嫁」(1951年)がベストセラーになった。 
             (右の写真)聴聞会でのサミュエル・オーニッツ 
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 | リング・ラードナー・ジュニア (1915-2000年/脚本家)   |  
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             『女性NO.1』(1942年/主演:キャサリン・ヘップバーン)でアカデミー賞を受賞。 
 追放・釈放後、イギリスに渡り、偽名でTVドラマの脚本を執筆していた。‟赤狩り”終焉後に帰国。『シンシナティ・キッド』(1965年/主演:スティーブ・マックイーン)で檜舞台に復帰し、『M★A★S★H』(1970年)で2度目のアカデミー賞を受賞した。 
             (右の写真)聴聞会でのリング・ラードナー・ジュニア | 
              
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 | エドワード・ドミトリク(1908-1999年/監督)   |  
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            |  『十字砲火』(1947年/主演:ロバート・ヤング)でアカデミー賞にノミネート。 | 
           
        
       
      
        
          
             追放・釈放後、脚本家のように偽名で仕事ができるはずもなく、1951年4月、自ら求めて下院非米活動委員会の聴聞会で共産主義者の名前を証言し、檜舞台に復帰。『ケイン号の叛乱』(1954年/主演:ハンフリー・ボガート)、『折れた槍』(1954年/主演:スペンサー・トレイシー)、『愛情の花咲く樹』(1957年/主演:エリザベス・テイラー)、『ワーロック』(1959年/主演:リチャード・ウィドマーク)等を監督した。 
             (右の写真)聴聞会でのエドワード・ドミトリク 
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 | エイドリアン・スコット(1911-1972年/脚本家・製作者)   |  
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             エドワード・ドミトリク監督の『十字砲火』(1947年)を製作し、アカデミー賞にノミネートされた。 
 追放・釈放後、イギリスに渡り、偽名でTVドラマの脚本を執筆した。 
             (右の写真)聴聞会でのエイドリアン・スコット 
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             聴聞会に召喚されたが証言を求められなかった「非友好的証人」が8名いる。彼等と‟ハリウッド・テン”とを分けた理由は定かではない。8名は投獄される難は逃れたが、そのキャリアは大きく損なわれた。 | 
           
        
       
       
      
 
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            (前列左から)ルイス・マイルストーン、ダルトン・トランボ、ジョン・ハワード・ローソン、弁護士 
(中列左から)ゴードン・カーン、アーヴィング・ピシェル、エドワード・ドミトリク、ロバート・ロッセン 
(後列左から)ウォルド・ソルト、リチャード・コリンズ、ハワード・コッチ、アルバート・マルツ、 
ハーバート・ビーバーマン、レスター・コール、リング・ラードナー・ジュニア、弁護士 | 
             
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 | ゴードン・カーン (1902-1962年/脚本家)   |  
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            |  聴聞会の後、失職し、メキシコへ逃れた。‟赤狩り”終焉後に帰国し、偽名で作家として活動した。 | 
           
        
       
       
       
      
        
          
            
            
 
 | アーヴィング・ピシェル (1891-1954年/俳優・監督)   |  
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             俳優として、『アメリカの悲劇』(1931年/監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ)、『女ドラキュラ』(1936年)等に出演。 
 監督としては、SF映画の佳作『月世界征服』(1950年)等を撮った。 
 また、『わが谷は緑なりき』(1941年)、『黄色いリボン』(1949年)でナレーターを務めた。 | 
              
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 | ロバート・ロッセン (1908-1966年/監督・脚本家)   |  
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             製作・監督・脚本を務めた『オール・ザ・キングスメン』(1949年)がアカデミー賞作品賞を受賞。 
 1951年、再召喚された際に証言を拒否して映画界から追放されたが、1953年に転向を表明。共産主義者の名前を証言した。 
 製作・監督・脚本を務めた『ハスラー』(1961年/主演:ポール・ニューマン)でアカデミー賞にノミネートされた。 
 (右の写真)聴聞会での ロバート・ロッセン | 
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 | ウォルド・ソルト (1914-1987年/脚本家)   |  
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            |  1951年、ブラック・リストに載ったため、イギリスへ渡り、偽名でTVドラマの脚本を執筆していた。 | 
           
        
       
      
        
          
             ‟赤狩り”の終焉後に帰国し、『真夜中のカウボーイ』(1969年)、『帰郷』(1978年)で2度アカデミー賞を受賞。『セルピコ』(1973年)でもオスカー候補となった。 
             ロバート・レッドフォード主催のサンダンス映画祭では、1992年より彼の名を冠した「ウォルド・ソルト脚本賞」を設けている。 
             (右の写真)『帰郷』でアカデミー賞を受賞した時のウォルド・ソルト(右) 
             
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 | リチャード・コリンズ (1914-2013年/脚本家・製作者)    |  
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             共産主義のプロパガンダ映画と疑われた『Song of Russia』(1944年/主演:ロバート・テイラー)等を執筆。 
 1951年、再召喚された際に転向を表明し、共産主義者の名前を証言。その後、『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年/監督:ドン・シーゲル)の脚本(ノンクレジット)等を執筆。1960年代以降はTV番組の脚本家、製作者として活動した。 | 
              
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 | ハワード・コッチ (1901-1995年/脚本家)     |  
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             オーソン・ウェルズの有名なラジオ番組「宇宙戦争」(1938年)の脚本を執筆。その後、『月光の女』(1940年)、『ヨーク軍曹』(1941年)といったヒット作を手掛け、『カサブランカ』(1943年)でアカデミー賞を受賞。1951年、ブラック・リストに載ったため、イギリスへ渡り、偽名でTVドラマの脚本を執筆。1956年に帰国し、脚本家、作家として活動した。 
             (右の写真)『カサブランカ』でアカデミー賞を受賞した時のハワード・コッチ(右) 
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            |  『ジョルスン物語』(1946年)でアカデミー賞主演男優賞にノミネート。 | 
           
        
       
      
        
          
             1951年、再召喚された際に共産主義者の名前を証言したことで追放は免れたが、監督や脚本家と違って俳優はイメージが大切であり、再びオスカー候補となるような役には恵まれなかった。 
 最後の映画は『フロイド/隠された欲望』(1962年/監督:ジョン・ヒューストン)。1963年、ブロードウェイの舞台に立ったのを最後に引退し、その後はアパートの経営者となった。 
 (右の写真)聴聞会でのラリー・バークス | 
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 ※ 一時期イギリスへ渡っていた4名の脚本家、リング・ラードナー・ジュニア、エイドリアン・スコット、ウォルド・ソルト、ハワード・コッチは、TVドラマ「ロビン・フッドの冒険」の脚本を執筆していた。そして、彼等を雇ったTVプロデューサーも、ブラック・リストに載ったためイギリスへ渡った人物だった。 
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             < 余談 > ハリウッドの映画人を追及していた下院非米活動委員会の委員長パーネル・トーマスは、事務員の給与がらみの詐欺事件で有罪となり、レスター・コール、リング・ラードナー・ジュニアと同じ刑務所に投獄された。 
             (右の写真)聴聞会でのパーネル・トーマス(左)とロバート・テイラー 
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