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「喜劇王」チャップリン 愛の遍歴
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  初恋の相手 ヘティ・ケリー

 1908年イギリスの名門劇団で若手スターとなっていたチャップリン(当時19歳)は、他の劇団の歌手・ダンサーだったヘティ・ケリー(当時15歳)に恋をした。 チャップリンの初恋とされている。

 
何回かデートもしたが、交際は1週間程で、チャップリンの失恋で終わってしまったという。

 
ヘティ・ケリーは1915年に結婚。1918年11月に25歳の若さで亡くなった。亡くなる数ヵ月前には、チャップリンと手紙のやりとりもしていたという。
Hetty Kelly


  銀幕でのベスト・パートナー エドナ・パーヴィアンス

Edna Purviance  1915年、すでに映画スターとしての地位を確立していたチャップリン(当時25歳)
 新作『アルコール夜通し転宅』のヒロイン、エドナ・パーヴィアンス(当時19歳)と出会った。

 
チャップリンにとって、公私ともに大切な女性だったことは間違いない。


 💙 最初の結婚相手 ミルドレッド・ハリス

 1918年、チャップリン29歳の時に、女優のミルドレッド・ハリス(当時16歳)と結婚。彼女の嘘か間違いか、いずれにしても事実でない妊娠話が結婚の決め手となった。

 結婚後、今度は本当に妊娠して長男を授かったが、生後数日で亡くなっている。

 当初は順調だった結婚生活も、やがて2人の間の溝が深まり、1920年、訴訟の末に離婚。この裁判の途中で、ハリス側はチャップリンの新作『キッド』(1921年)のフィルムを差し押さえようとしたが、その企みに気付いたチャップリンは、秘書の高野虎市らと、フィルムを持ってハリウッドから脱出するという騒動が起きている。
Mildred Harris


  チャップリンを袖にしたポーラ・ネグリ

Chaplin-Negri-2  ハリスと離婚したチャップリンが、次に恋をしたのが、当時人気のあった女優のポーラ・ネグリ(8歳年下)

 1923年に
婚約までしたそうだが、彼女が心変わりして、ルドルフ・ヴァレンチノと恋仲になったため、チャップリンは失恋してしまった。
 

 恋多きチャップリン、新聞王ハーストの愛人女優マリオン・デイヴィスの浮気相手との噂(デマ)が出たこともあった。


 💙 2度目の結婚相手 リタ・グレイ

 1924年、35歳のチャップリン、女優のリタ・グレイ(当時16歳)と2度目の結婚。彼女はチャップリンの『キッド』(1921年)に天使役として出演していた。

 新作『黄金狂時代』(1925年)のヒロインに選ばれ、撮影もスタートしていたが、チャップリンの子を身籠っていることが判明し、映画は途中降板した。

 当時の法律では、未成年女性との関係は強姦罪とされていたため、チャップリンは止む無く結婚したとも言われている。
Lita Grey
Chaplin-Lita  1925年に長男、翌1926年には次男が誕生。2人の子供を授かった結婚生活だったが、夫婦の間に亀裂が生じていった。

 1927年、彼女が離婚を求めて提訴。裁判は泥沼化し、チャップリンは相手側からの誹謗中傷で徹底的に攻撃された。
 1928年、離婚が成立。チャップリンは当時のアメリカで史上最高額となる慰謝料を支払わされた。

 1932年、リタがまだ幼い子供2人を映画に出演させようとしたため、チャップリンは出演差し止めを求めて訴訟を起こしている。
 (右の写真)1932年の裁判時のチャップリン
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 💙 3人目の妻 ポーレット・ゴダード

Paulette Goddard  1932年、チャップリン43歳の時に、女優のポーレット・ゴダード(当時22歳)と出会った。

 
共演作『モダン・タイムス』(1936年)の撮影後、ハネムーンに出立。船上で結婚したとの説もあったが、正式な結婚はしていなかったそうだ。香港へ行った後、来日もした。

 
『チャップリンの独裁者』(1940年)でも共演したが、撮影中に関係が悪化し、1942年に別れた。


  疑惑の女優 ジョーン・バリー

 1943年6月、チャップリンは、女優のジョーン・バリーから、子供を認知するようにと訴えられた。

 彼女は、チャップリンの幻の新作『影と実体』のヒロイン候補として契約したが、ご破算になっていた。1942年12月には、銃を持ってチャップリンの自宅へ押し入ってもいた。

 血液検査の結果、チャップリンの子供ではないと判明したが、陪審員の評決により、子供の扶養義務を負わされる羽目に。
Joan Barry


Charles Chaplin-4  映画の中では放浪紳士チャーリーを演じた喜劇王チャップリン。
 
 人間観察の天才も、こと自身の恋愛関係となると、苦労することが多かったようである。

女性は好きだが、理解しようとすると破滅する との言葉も残している。

 理想の愛を求めた放浪の旅も、ついに終着地、安息の地に辿り着くことに…。


 💙 最後の結婚相手 ウーナ・オニール

 1942年、チャップリン53歳の時にウーナ・オニール(当時17歳)と出会った。 

 彼女はノーベル賞作家ユージン・オニールの娘。
 女優になることを志し、チャップリンとは『影と実体』のヒロイン候補として出会った。
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Chaplin-Oona-4  1943年6月、ジョーン・バリーとの訴訟の最中、チャップリンを信頼し、父親の反対も押し 切ってチャップリンと結婚。

 その後、チャップリンは‟赤”とのバッシングが強まり、新作『殺人狂時代』(1947年)も興行的に失敗したりと受難の時期を迎えたが、精神的に支えたのがウーナ夫人だったという。
 (左の写真)1972年アカデミー賞名誉賞受賞後
 1952年、チャップリンはアメリカから追放されたが、その後も結婚生活は続き、チャップリンが亡くなるまで34年間連れ添った。

 2人は子宝にも恵まれ、8人の子供を授かった。最後の子供はチャップリンが73歳の時だった。
 (右の写真)1975年「ナイト」の称号を授与された時
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