20世紀・シネマ・パラダイス

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チャールズ・チャップリン

Charles Chaplin

1889-1977 (イギリス)

 
愛称:チャーリー(Charlie )
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 ・1940年、『チャップリンの独裁者』を発表。
  ラストの演説シーンのために、初のトーキーに踏み切ったとも。全米で年間第3位の大ヒットに。
 (右の写真)『チャップリンの独裁者』

 ・1943年、ウーナ・オニールと結婚。
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 ・1947年、『殺人狂時代』を発表。
 戦後、チャップリンは‟赤”とのレッテルを貼られていたこともあり、チャップリン映画としては初めて赤字となってしまった。
 (左の写真)『殺人狂時代』

 ・1952年、『ライムライト』を発表。
 ロンドンへ向かう船中で、アメリカの司法長官からの再入国を許可しない旨の通知(事実上の国外追放命令)を受けた。
 (右の写真)『ライムライト』  バスター・キートン

 ・1953年、家族でスイスへ移住。
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A King in New York
 ・1957年、『ニューヨークの王様』を発表。
 イギリスで製作されたチャップリン最後の主演映画。アメリカの政治を痛烈に皮肉った。
 (左の写真)『ニューヨークの王様』

 ・1959年、『チャップリン・レヴュー』を発表。
 『犬の生活』、『担え銃』、『偽牧師』の3作品を再編集し、チャップリン自身が作曲した音楽とナレーションを新たに加えた作品。“放浪紳士チャーリー”を復活させた。
 (右の写真)『チャップリン・レヴュー』 ポスター

The Chaplin Revue

 ・1961年、最後の来日

 ・1964年、「私の自叙伝」を出版。

 ・1965年、異父兄シドニーが他界。チャップリンの76歳の誕生日だった。

A_Countess_from_Hong_Kong
 ・1967年、『伯爵夫人』を発表。
 主演はマーロン・ブランドとソフィア・ローレン。チャップリンは端役で登場するだけで監督に専念した。自身初のカラー作品であり、最後の作品となった。
 (左の写真)『伯爵夫人』撮影時
 マーロン・ブランド、ソフィア・ローレンと

 ・1972年3月、ロサンゼルスの‟ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム”にチャップリンの名前が復活。1958年に消されていた。

 ・1972年4月、アカデミー賞名誉賞を受賞。
 「20世紀の映画芸術製作への計り知れない功績」への賞だが、国外追放となったチャップリンに対するハリウッドからの謝罪であり、和解の申し入れでもあった。1952年以来となるアメリカの地へ。

 アカデミー協会会長が、「チャップリンは映画用語の1つだ」と述べ、会場にチャップリン作曲の代表曲「スマイル」が流れると会場全員で合唱。チャップリンが登場すると会場全員がスタンディングオベーションで迎えた。
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   感動的なアカデミー賞授賞式の模様。帽子とステッキを手渡すのはジャック・レモン



 ・この時チャップリンは83歳。あるジャーナリストは「チャップリンが長生きしてくれたおかげで、アメリカはその誤りを正す機会を得ることができた」と伝えた。

 ・1973年、『ライムライト』がアカデミー賞で作曲賞を受賞。ロスアンゼルスでは1972年に初公開された。

 ・1975年、イギリス王室から「ナイト」爵を授かり、‟サー” の称号を得た。

 ・1977年12月25日、Xマスの朝に88歳で他界。  

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Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot
 ― Charles Chaplin


   
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