20世紀・シネマ・パラダイス
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サタジット・レイ
Satyajit Ray
1921-1992(インド)
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◆ 代表作
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大地のうた
Pather Panchali
(1955年/インド) |
大河のうた
Aparajito
(1956年/インド) |
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大樹のうた
Apur Sansar
(1959年/インド) |
チャルラータ
Charulata
(1964年/インド) |
◆ 世界中の映画人から尊敬されたインドの巨匠
・1921年、インド(当時はイギリス領)のコルカタ生れ。祖父も父親も有名な画家、文学者という由緒ある家庭だった。
・1943年、大学を卒業し、イギリス系の広告会社に入社。ベストセラー小説「大地のうた」(1929年出版)の子供向け要約版のイラストを描き、いずれ映画化したいと考えるようになった。
(右の写真)若い頃のサタジット・レイ
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・1949年、『河』(1951年)の撮影でインドに来たジャン・ルノワール監督のアシスタントを務める。
・1950年、広告会社の本社があるロンドンに派遣され、この6ヶ月間で100本近い映画を鑑賞。中でも『自転車泥棒』(1948年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカ)に感銘を受け、映画製作を決心。インドに帰国する船中で『大地のうた』の絵コンテを描き始めた。
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・1952年、『大地のうた』の撮影を開始。製作費を工面出来ずに撮影の中断を余儀なくされたこともあったが、3年がかりで完成させた。インドに来ていたニューヨーク近代美術館のコーディネーターにも資金援助を打診。コーディネーターが、『王になろうとした男』の撮影場所を探しにインドへ来たジョン・ヒューストン監督にフィルムを観るように依頼。
(左の写真)撮影時のサタジット・レイ監督
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主人公のオプー少年と姉が汽車を見に行く場面を観たヒューストン監督が絶賛したことで資金援助が決まったとのエピソードも。
1955年に公開された作品は、カンヌ国際映画祭のヒューマン・ドキュメント賞の他、世界各国の様々な賞を数多く受賞。インド映画で初めて世界的な成功を収めた。
(右の写真)『大地のうた』
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・広告会社を辞めて映画製作に専念することになったレイ監督が、最初に撮ったのが『大地のうた』の続編『大河のうた』(1956年)。 |
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当初は続編を撮る予定は無かったというから、『大地のうた』の成功は予想を上回るものだったのだろう。
『大河のうた』は、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞の他、世界各国の様々な賞を数多く受賞。前作と同様に高い評価を得て、レイ監督の国際的な名声を確固たるものとした。
(左の写真)『大河のうた』
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・『賢者の石』、『音楽サロン』(1958年)の2作を撮った後、『大河のうた』の続編『大樹のうた』(1959年)を監督。<オプー3部作>を完結させた。
(右の写真)『大樹のうた』
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・『大樹のうた』でオプーの妻役として銀幕デビューしたシャルミラー・タゴールをヒロインに起用した『女神』(1960年)、アジア人で初めてノーベル賞(1913年/文学賞)を受賞したラビンドラナート・タゴールの生涯を描いたドキュメンタリー映画『詩聖タゴール』(1961年)等を監督。
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・『大都会』(1963年)、『チャルラータ』(1964年)で、2年連続ベルリン国際映画祭の銀熊賞(監督賞)を受賞。
『チャルラータ』は、前述のラビンドラナート・タゴールの小説を映画化した作品で、レイ監督の最高傑作との声もある。
(左の写真)『チャルラータ』
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・生涯で36作の長編映画を撮り、上記の作品以外にも、ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞した『遠い雷鳴』(1973年)等、国際的に高く評価された作品が多いが、日本で公開された作品は限られており、現在DVD等で鑑賞できる作品は更に限られている。
・1982年、ヴェネツィア国際映画祭の栄誉金獅子賞を受賞。
・1992年、アカデミー賞の名誉賞を受賞。病床にあったレイ監督の受賞スピーチは生中継で伝えられた。 |
・1992年、アカデミー賞授賞式の日から僅か24日後に他界した。享年70歳。
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