20世紀・シネマ・パラダ イス
ベティ・デ イビス
Bette Davis
1908-1989 (アメリカ)
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・フリーとなって最初の作品は
『イヴの総て』
(1950年/監督:
ジョセフ・L・マンキーウィッツ
)
。怪我で降板した
クローデット・コルベール
の代役だったが、貫禄の演技を披露し、8度目のアカ デミー賞主演女優賞候補に。オスカーは逃したが、カンヌ国際映画祭の主演女優賞を受賞した。
(右の写真)『イヴの総て』
ゲーリー・メリルと
・生涯で4度結婚
(2度目の相手は死別)
したが、最後の相手は『イヴの総て』で共演したゲーリー・メリル
(1960年に離婚)。
子供は、3度目の相手との間で娘を1人授かり、ゲーリーとの結婚期間に2児を養子縁組した。
(左の写真)ゲーリー・メリルと
・『
The Star
』
(1952 年)
で、9度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。1952年には、20数年ぶりにブロードウェイの舞台にも立った。
『
The Star
』(1952年)
スターリング・ヘイドン
と
『ポケット一杯の幸福』
(1961年/監督:
フランク・キャプラ
)
グレン・フォード
と
・『何がジェーンに起ったか?』
(1962年/監 督:ロバート・アルドリッチ)
では、グロテスクなメイクを施し、精神異常者を快演。10度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。本人は、『イヴの総て』と本作では、オスカーを獲得できると思っていたという。
(右の写真)『何がジェーンに起ったか?』
共演した
ジョーン・クロ フォード
との「犬猿の仲」ぶりはあまりにも有名に。
監督のロバート・アルドリッチによれば、「
2人が心から嫌い合っていたことは間違いない。しかし、2人とも完璧な立ち居振る舞いを見せた
」。
(左の写真)『何がジェーンに起ったか?』
ジョーン・クロフォード(左)と
・『何がジェーンに起ったか?』が公開される1ケ月程前、ベティは業界誌 「バラエティ」に、
‟ハリウッドでの職求む
” との求職広告を出している。
「何がベティに起ったか?」。大女優の茶目っ気溢れるジョークか?
(右の写真)「バラエティ」誌に掲載された求職広告
・再びロバート・アルドリッチ監督と組んだ『ふるえて眠れ』
(1964年)
では、当初の共演相手だったジョーン・クロフォードが体調を崩して降板。ベティが降板させた との説もある。代役は、ワーナー社時代からの親友
オリヴィア・デ・ハヴィランド
が務めた。
『誰が私を殺したか?』
(1964年/監督:ポール・ヘンリード)
1人2役、双子の姉妹を演じた
『ふるえて眠れ』(1964年)
オリヴィア・デ・ハヴィランド(右)と
・1974年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。
・1977年、AFI(アメリカ映画協会)の生涯功労賞を受賞。女優では初の受賞者。授賞式のホストはジェーン・フォンダが務めた。
・TVドラマ「
Strangers
:
The Story of a Mother and Daughter
」
(1979年)
で、エミー賞の主演女優賞を受賞。
『ナイル殺人事件』(1978年)
TV「
Strangers
」(1979年)
ジーナ・ローランズ(左)と
・1980年、大戦中の「ハリウッド食堂」 での功績により、アメリカ国防総省から表彰された。
・1981年、キム・カーンズの楽曲「ベティ・デイビスの瞳」が、全米で9週間連続No.1の大ヒットに。
ベティはキムと作詞家に感謝の手紙を書き、キムが獲得したゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクがベティに贈呈された。
(左の写真)キム・カーンズと
・『八月の鯨』
(1987年)
で、「サイレント・スクリーンのファースト・レディー」
リリアン・ギッシュ
と夢 の初共演。
TV 『
Right of Way
』(1983年)
ジェームズ・ステュアート
と
『八月の鯨』(1987年)
リリアン・ギッシュ(左)と
・『おばあちゃんは魔女』
(1898年)
が遺作となった。
・デビュー当時、「半分は天使、半分は妖婦、そして、全てが女性」のキャッチ・フレーズで売り出され、‟ハリウッドのファースト・レディー”と称される大女優に。
・
1989年
、
81歳
で他界。生涯を通じて大女優として光り輝き続けた。
ベティ・デイビス トリビュート動画。ナレーターはメリル・ストリープ
・
1999年
、
AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」の女優部門で、第2位に選出。
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