20世紀・シネマ・パラダ イス

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Meet John Doe

       群衆
        Meet John Doe
        監督:フラン ク・キャプラ
        (1941年/アメリカ)
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  名匠フランク・キャプラの独立後最初の作品

 ある州の新聞社が政財界の大物D・B・ノート ンによって買収され、新任の編集長ヘンリー・コネルは、大量の人員整理を敢行し た。 コラムニストのアン・ミッチェルは、「記事にパンチが効いていない」 との理由でクビを言い渡されてしまった。ヤケクソとなったアンは、最後にデタラメの投書記事を書いて会社を後にした。
  「私は失業した…。州の政策が良くないからだ…。抗議の為に、クリスマス・イヴの晩に市庁舎から飛び降り自殺をする…。差出人ジョン・ドー」  
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 アンの記事はパンチが効きすぎて?大反響を呼んだ。アンはコネルに呼び出された。アンが記 事はデッ チ上げだと告白すると、コネルは頭を抱えてしまった。
 アンは、架空の人物ジョン・ドーを実在の人物に仕立て上げ、記 事の続きを掲載することを提案した。
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 アンとコネルは、失業者の中からジョン・ドーに仕立て上げる人物を選抜する面接を始めた。 すると、マイナー・リーグでピッチャーをしていたが、腕を怪我して失業中のジョン・ウィロビーが 何も知らずに面接に来ていた。見た目も誠実そうで申し分ない。アンとコネルは、ウィロビーをジョン・ドーに仕立て上げることに決めた。
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 ウィロビーは、クリスマス・イヴまでジョン・ドーを演じ、その後は町から出ていけば、腕の 手 術を受けられるという契約書にサインした。アンは復職が叶い、臨時ボーナスまで手に入れた。
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 『群衆』 予告編



  主な出演者など

Meet John Doe-38 ジョン・ウィロビー(ジョン・ドー)役 ゲーリー・クーパー
アン・ミッチェル役 バーバラ・スタンウィック
D・B・ノートン役 … エドワード・アーノルド
大佐”ウォルター・ブレナン
ヘンリー・コネル役 … ジェームズ・グリースン

 ・フランク・キャプラ監 督が、 コロンビア社から独立し、名コンビだった脚本家のロバート・リスキンと共に設立した会社で製作した最初の作品(配給は ワー ナー・ブラザーズ社)だが、2人の最後のコラボともなった。
 (右の写真)左から、アーヴィング・ベーコン、ジェームズ・グリースン、バーバラ・スタン ウィック、ロバート・リスキン、フランク・キャプラ、ゲーリー・クーパー、ウォルター・ブレナン、スプリング・バイントン
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 ・キャプラ監督は、主役はゲーリー・クーパーしかいないと決めていて、同監督の『オペラハット』(1936年)で 主役を務めていたクーパーは、キャプラ監督ならば、と脚本をほとんど読まずに出演を快諾したという。

 ・ヒロイン役は、オ リヴィア・デ・ハヴィランド、アン・シェリダンも候補として挙がっていたが、最終的に、キャプラ監督のお気に入りの女優だったバーバラ・スタン ウィッ クが8年ぶりに同監督の作品に出演することになった。 Meet_John_Doe-45

Meet John Doe-42  ・映画のラストは4〜5パターンが準備されており、中にはジョン・ドーが自殺をしてしまう パターンもあったという。

 ・アカデミー賞の脚本(原案)賞にノミネートされたが受賞は逃した。

 ・AFI(アメリカ映画協会)が2006年に選定した「感動のアメリカ映画ベスト100」で第49位に。

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  ピック・アップ … エドワード・アーノルド

Edward Arnold
  Edward Arnold  1890-1956 (アメリカ)

 ・1890年、ニューヨーク生まれ。17歳の時に舞台俳優となった。

 ・『The Misleading Lady(1916年)で銀幕デビューし、 2年間で50本近くの映画に出演したが、1920年代は舞台を中心に活動した。

 ・『O・Kアメリカ』(1932年)で トーキー映画に初出演してからは、活動の場を映画に移し、『ダイヤモンド』(1935年)、『大自然の 凱歌』(1936年/監督:ハワード・ホークスウィリアム・ワイラー等で主役を務めた。
Diamond_Jim
Come_and_Get_It
ダイヤモンド』(1935年)
ジーン・アーサー
『大自然の凱歌』 (1936年)
フランシス・ファーマー

 ・1930年代後半からは、主に助演クラスで活躍。『我が家の楽園』(1938年)でフランク・キャプラ監督のお気に入りとなり、『スミス都へ行く』 、『群衆』にも出演。
You_Can't_Take_It_with_You
Mr._Smith_Goes_to_Washington
『我が家の楽園』(1938年)
ライオネル・バリモア(左)と
『スミス都へ行く』 (1939年)
ジェームズ・ステュアート(左)と


 ・1940〜1942年まで映画俳優組合の代表を務め、ロサンゼルス市議会議員に立候補し たこ ともあったが落選。その後も、『私を野球につれてって』(1949年)、『アニーよ銃をとれ』(1950年)、遺作となった『Miami Expose(1956 年)等、数多くの映画に出演した。

 ・1956年66歳で他界。


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