20世紀・シネマ・パラダイス
グローマンズ・チャイニーズ・シアター
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ジョン・バリモア
(1940年9月5日)
代名詞の「
The Great Profile
=偉大なる横顔」
(特に顔の左側)
を刻印。
ジャック・ベニー
(1941年1月13日)
カルメン・ミランダ (1941年3月24日)
ブラジル人の歌手・女優。母国で人気を確立し、1939年に渡米。ブロードウェイや銀幕で活躍し、1940年代前半には最高給取りの女性の1人となる等、爆発的な人気を誇った。
1955年、心臓発作により46歳で急死した。
ロバート・テイラー
、
バーバラ・スタンウィック
夫妻
(当時)
(1941年6月11日)
ルディ・ヴァリー (1941年7月21日)
1928年にレコード・デビュー。歌手、ラジオの司会者として人気を博し、映画『結婚五年目』
(1942年/監督:
プレストン・スタージェス
)
等にも出演。戦後もラジオやTVで息長く活躍した。
セシル・B・デミル
(1941年8月7日)
左から、シド・グローマン、デミル監督、
マーシャ・オドリスコル、
ポーレット・ゴダード
‟アンディ・ハーディ”シリーズの一家 (1941年8月15日)
左から、
ミッキー・ルーニー
、セシリア・パーカー、
フェイ・ホールデン、ルイス・ストーン
*
グローマンズ・シアターでの写真がありません。悪しからず。
アボットとコステロ (1941年12月8日)
バッド・アボット(右)とルー・コステロのお笑いコンビ。日本では‟凸凹コンビ”と呼ばれていた。
1935年にコンビを結成し、舞台、ラジオを経て、1940年に銀幕デビュー。特に、第2次世界大戦中は絶大な人気を誇り、1942年にはドル箱(マネー・メイキング)スターの第1位にもなった。1957年にコンビを解消。
エドワード・アーノルド
(1942年1月6日)
ジョーン・フォンテイン
(1942年5月26日)
レッド・スケルトン (1942年6月18日)
父親はサーカスの道化師だったが、彼が生れる2ヶ月程前に亡くなっている。
子供の頃からコメディアンとして活躍し、1937年にラジオで、翌1938年に銀幕でデビューした。
1951年にスタートしたTV番組 「レッド・スケルトン・ショー」 は、20年も続いた人気番組だった。
グリア・ガースン
(1942年7月23日)
ヘンリー・フォンダ
、
シャルル・ボワイエ
、
リタ・ヘイワース
、
チャールズ・ロートン
、
エドワード・G・ロビンソン
(1942年7月24日)
(前左から) フォンダ、ボワイエ、ヘイワース、ロートン、ロビンソン (後) シド・グローマン
『運命の饗宴』(1942年/監督:
ジュリアン・デュヴィヴィエ
) 出演者
@
A
B
@
ヘンリー・フォンダ
A
手前右から時計回りに、シド・グローマン、リタ・ヘイワース、エドワード・G・ロビンソン、
シャルル・ボワイエ、 チャールズ・ロートン
B
手前右から時計回りに、エドワード・G・ロビンソン、シド・グローマン、シャルル・ボワイエ、
リタ・ヘイワース
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