20世紀・シネマ・パラダ
イス
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アラビアのロレンス
Lawrence of Arabia
監督:デビッド・リーン
(1962年/イギリス)
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◆ 主な出演者など
アレンビー将軍役
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ドライデン局長役
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ブライトン大佐役
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ベントリー役
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ジャック・ホーキンス
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クロード・レインズ
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アンソニー・クエイル
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アーサー・ケネディ
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トーマス・エドワード・ロレンス (1888〜1935)
・オックスフォード大学ジーザス・カレッジ卒業。考古学者として活動していたが、第一次世界大戦が勃発し、英陸軍省に入隊。1916年10月から1918年10月までアラブの反乱軍を指揮した。
著書:「知恵の七柱」 (1926年出版) とその要約版 「砂漠の反乱」 。
(右の写真) T・E・ロレンス
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・BBC放送が視聴者投票により選出した 「100人の最も偉大な英国人」 (2002年)で第53位に。ちなみに、第1位に選出されたのはウィンストン・チャーチル元首相で、彼はロレンスのことを次のように評していた。
「現代に生きた最も偉大な人物と信じる。…(ロレンスの名前は) アラブの伝説の中に生きている 」。
(左の写真) T・E・ロレンス |
(1957年) で組んだデヴィッド・リーンに監督を要請した。
デヴィッド・リーンは、「インド独立の父」 マハトマ・ガンジーの映画を構想中だったが、それを取り止めて本作を監督することを快諾した。
『戦場にかける橋』 と同じく、スピーゲルの 「ホライズン・ピクチャーズ」 社とコロンビア社がタイアップして製作した。
(右の写真) サム・スピーゲル(左) と デヴィッド・リーン監督
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・脚本も 『戦場にかける橋』 と同じくマイケル・ウィルソンが執筆したが、リーン監督がその内容に満足せず、戯曲家として活躍していたロバート・ボルトが新たに雇われ、ウィルソンの脚本を改訂し、完成させた。
ロバート・ボルトは英陸軍の将校役の1人としてカメオ出演もした。
(左の写真) パイプを持っているのがロバート・ボルト … 『ドクトル・ジバゴ』 (1965年)、『わが命つきるとも』 (1966年) でアカデミー賞脚色賞を受賞。
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・ロレンス役 … サム・スピーゲルは、自身のプロデュース作品 『波止場』 (1954年) で主役を務めたマーロン・ブランドに打診したが、「ラクダと一緒に2年間も砂漠で暮らすのは嫌だ 」 と辞退された。
リーン監督がキャスティングしたアルバート・フィニーは、スクリーン・テストにも合格し、ほぼ決定していたが、サム・スピーゲルが提示した契約条件に不満で辞退した。
(右の写真) スクリーン・テスト時のアルバート・フィニー … 『オリエント急行殺人事件』 (1974年) の探偵ポワロ役で有名。 ピーター・オトゥールとはロンドンの王立演劇学校で同級生だった。
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・ピーター・オトゥールは、彼の3作目の劇場用映画 『The Day They Robbed the Bank of England 』 (1960年) を観たリーン監督によって見出された。
1960年11月、ロレンス役に決定。撮影開始までの約半年間、役作りに没頭し、「知恵の七柱」 をほぼ暗記してしまったという。
ロレンスがアラブの反乱軍を指揮したのは28歳から30歳の時。本作の撮影開始時、オトゥールは28歳であり、撮影終了時には30歳になっていた。
(左の写真) ピーター・オトゥール
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・ファイサル王子を演じたアレック・ギネスは、ロレンスの生涯を描いた舞台劇 「Ross 」 (1960年)でロレンスを演じており、本作においてもロレンスを演じることを欲したが、年齢的に無理があると判断された。ちなみに、ファイサル王子役の第一候補はローレンス・オリヴィエだったという。
(左の写真) 舞台でロレンスに扮したアレック・ギネス
(右の写真) 本作でファイサル王子に扮したアレック・ギネス
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・アリ役の候補には、『荒野の七人』 (1960年) のホルスト・ブッフホルツ、アラン・ドロン、モーリス・ロネなどの名前が挙がっていた。
オマー・シャリフは、ロレンスの砂漠の案内人タファス役としてキャストされていたが、他の候補者がNGとなった段階で、より重要なアリ役に抜擢された。
(左の写真) オマー・シャリフ
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・役者たちはラクダに乗れるように特訓を受け、ラクダ酔いに悩まされたという。但し、アレック・ギネスとアンソニー・クインは馬に乗る設定だったため、難を逃れた。
(左の写真) ピーター・オトゥール
(右の写真) オマー・シャリフ
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・1961年5月、ヨルダンで撮影がスタート。国王のフセイン1世から政府と軍隊の全面的協力を得た。ヨルダンでの撮影後、2ヶ月弱の休暇を経て、ロケ地をスペイン、モロッコに移し、1962年9月に撮影が終了した。
(左の写真) 左から、ピーター・オトゥール、フセイン1世、
リーン監督
(右の写真) 砂漠での撮影時
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・アカデミー賞では10部門でノミネートされ、作品賞、監督賞、撮影賞 (カラー部門)、美術監督・装置賞(カラー部門)、音響賞、編集賞、作曲賞の7部門で受賞した。
(右の写真) アカデミー賞授賞式にて。左から、デヴィッド・リーン監督、
オリヴィア・デ・ハヴィランド (作品賞のプレゼンター)、サム・スピーゲル
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・AFI (アメリカ映画協会) が1998年に選定した 「アメリカ映画100年ベスト100」 で第5位。 |
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・BFI (イギリス映画協会)が1999年に選定した 「20世紀の英国映画ベスト100」 で第3位。
・WGAW (西部全米脚本家組合)が2005年に選定した 「偉大な脚本101」 で第14位。
・ASC (全米撮影監督協会) が2019年に選定した 「偉大な映画ベスト100」 で第1位。
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・1962年12月10日、エリザベス女王を招いてのロイヤル試写会で上映された時は約
222分の作品だったが、その後、一般公開された作品は207分に編集されたものだった。1988年、デヴィッド・リーン監督が自ら再編集した227分が
完全版と言われている。尚、本作は、台詞のある女性が登場しない最長の映画という珍記録も保持しているらしい。
(右の写真) 左から、リーン監督、オマー・シャリフ、ピーター・オトゥール。1988年当時。
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