20世紀・シネマ・パラダ イス

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Ben-Hur

     ベン・ハー
     Ben-Hur
     監督:ウィリアム・ワイラー
     (1959年/アメリカ)
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 ・1952年12月、MGM社が 『ベン・ハー』 のリメイクを発表。サム・ジンバリストが製作者に就任した。
 1955年9月、カール・タンバーグによる脚本が完成。56年4月から撮影に入ると報じられたが、監督候補だったシドニー・フランク リンが体調不良により辞退したこともあり、一旦は製作中止となった。
 (右の写真) 右から時計回りに、サム・ジンバリスト、ハイヤ・ハラリート、
 ウィリアム・ワイラー監督、チャールトン・ヘストン、ジョゼフ・ヴォーゲル(MGMの社長)、
 スティーヴン・ボイド
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Ben-Hur-35  ・1957年初頭、製作の再開が決定。前年10月に社長に就任したジョゼフ・ヴォーゲルがGOサインを出した。
 パラマウント社の 『十戒』 (1956年10月公開) が大ヒットしたことに触発されたとも言われている。
 (左の写真) 左から、ウィリアム・ワイラー監督、サム・ジンバリスト、チャールトン・ヘストン
 * サム・ジンバリスト … 『クォ・ヴァディス』 (1951年/監督:マーヴィン・ルロイ)、『モガンボ』 (1953年/監督:ジョン・フォード) 等を製作。
  本作製作途中の1958年11月に心臓発作で急死
(享年57歳) 。

 ・1958年1月、ウィリアム・ワイラーが監督に就任。
 1957年初頭に打診された時は断り、『大いなる西部』 の撮影 (1957年7月〜11月) に臨んでいたが、サム・ジンバリストから粘り強く要請され、1957年9月頃には内諾していたという。
 史上最高額 の基本給 (当時)+歩合給という好条件だった。
 (右の写真) ウィリアム・ワイラー監督 (手前右)
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 ・ワイラー監督の意向で、複数のライターがカール・タンバーグの脚本を手直ししたが、脚本家としてクレジットされたのはカール・タンバーグだけだった。
 また、ワイラー監督にはキャスティング権も与えられていたが、ティルザ役のキャシー・オドネルはワイラー監督の義理の兄妹だった。
 (左の写真) チャールトン・ヘストン(左) と ウィリアム・ワイラー監督

 ・ワイラー監督はセシル・B・デミル監督に対抗心を抱いていたようで、後年、「聖書やキリストのより良い作品を撮るには、ユダヤ人の血が必要だ 」 といった旨のコメントを残している。‟赤狩り” の問題で大紛糾した映画監督組合の総会 (1950年) において、対立していたデミルから 「ヴィルヘルム・ヴァイラー」 (ワイラーのユダヤ人ネーム) と呼ばれ、挑発された因縁があった。
 (右の写真) スティーヴン・ボイド(左) と ウィリアム・ワイラー監督
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 ・ベン・ハー役にはマーロン・ブランドポール・ニューマンバート・ランカスターカーク・ダグラスロック・ハドソンといった人気俳優の名前が挙がっていたが、ワイラー監督の 『大いなる西部』 にも出演していたチャールトン・ヘストンが起用された。
 (左の写真) チャールトン・ヘストン

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 ・1958年5月、撮影がスタート。大部分はイタリアのチネチッタで撮影され、1日に12〜14時間、週6日という過密なスケジュールだったという。
 撮影が終了したのは1959年1月。8ヶ月半に及ぶ長丁場で、1,500万ドル (日本円で54億円) という史上最大の製作費 (当時) が投入された。
 (右の写真) スティーヴン・ボイド(左) とチャールトン・ヘストン(右)の演技を見守る
  ウィリアム・ワイラー監督(手前)

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 ・チネチッタの屋外撮影所に競技場を建設して撮影された戦車レースのシーンは、第2班の監督アンドリュー・マートンとスタントマンのヤマキ・カヌートが取り仕切った。
 リハーサルに4ヶ月、撮影に3週間を費やし、戦車の総走行距離は320kmに達したという。尚、ベン・ハーが戦車からフッ飛ばされそうになるシーンのスタントマンは、ヤマキ・カヌートの息子のジョー・カヌートが務めた。

                      お馬さんたちも頑張りました。
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 ・1959年11月、ニューヨークでプレミア上映。MGM社がリメイクの発表をしてから実に7年が経っていた。日本の試写会では昭和天皇、皇后が招かれ、史上初の天覧上映 (1960年3月)という栄誉に浴した。
 興行成績は、『十戒』 には及ばなかったものの、歴代第15位 (インフレ調整後) となる記録的な大ヒットとなった。 (右の写真)プレミア上映時、 新旧ベン・ハー俳優。
 ラモン・ノヴァロ(左) とチャールトン・ヘストン。

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 ・アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞 (チャールトン・ヘストン)、助演男優賞 (ヒュー・グリフィス) 等、11部門で受賞。同賞の最多受賞記録を樹立し、『タイタニック』 (1997年) と 『ロード・オブ・ザ・リング / 王の帰還』 (2003年) に並ばれたものの、いまだに破られてはいない。
 (左の写真) 左から、ワイラー監督、サム・ジンバリスト未亡人、ゲーリー・クーパー (作品賞プレゼンター)、スーザン・ヘイワード (主演男優賞プレゼンター)、チャールトン・ヘストン
 
< 『ベン・ハー』 主題曲 >

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