20世紀・シネマ・パラダイス

hearttbar
Audrey_Hepburn-2

オードリー・ヘップバーン

Audrey Hepburn

 1929- 1993(イギリス)

 

heartbar

< 2ページ目 >

 ・唯一の西部劇となった『許されざる者』(1960年)の撮影中、落馬事故により2度目の流産をしてしまった。作品は、ジョン・ヒューストン監督自身が失敗作と認める出来となった。
 (右の写真)『許されざる者』 バート・ランカスター
The_Unforgiven

Sean_Ferrer
 ・1960年7月、長男ショーンを出産。
 (左の写真)夫のメル・ファーラー、長男のショーンと

 ・母親となって最初の作品『ティファニーで朝食を』(1961年/監督:ブレイク・エドワーズ)は、代表作の1つとなった。主題歌「ムーン・リバー」も大ヒット。アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた(4度目)。
 (右の写真)『ティファニーで朝食を』 ジョージ・ペパード

Breakfast_at_Tiffany's-2

The_Children's_Hour
 ・恩師ウィリアム・ワイラー監督と再び組んだ『噂の二人』(1961年)は、ワイラー監督が自身の作品『この三人』(1936年)をリメイクした作品。
 (左の写真)『噂の二人』 シャーリー・マクレーン(左)と

 ・スタンリー・ドーネン監督と再びパリを舞台に組んだ『シャレード』(1963年)は、ヒッチコック作品さながらのサスペンス映画。オードリーは英アカデミー賞の主演女優賞を受賞(3度目)した。
 (右の写真)『シャレード』 ケーリー・グラント
Charade

Paris_When_It_Sizzles
 ・『パリで一緒に』(1964年)は、フランス映画『アンリエットの巴里祭』(1952年/監督:ジュリアン・デュヴィヴィエのリメイク作。
 『麗しのサブリナ』(1954年)で共演した時には恋に落ちたとも言われているウィリアム・ホールデンと10年ぶりの共演をした。
 (左の写真)『パリで一緒に』 ウィリアム・ホールデンと

 ・自身2作目のミュージカル『マイ・フェア・レディ』(1964年/監督:ジョージ・キューカーは、オードリーの最大のヒット作となったが、撮影後に歌声が吹き替えられ心を痛めた。アカデミー賞では12部門でノミネートされ、作品賞など8部門で受賞したが、オードリーは主演女優賞にノミネートすらされなかった。彼女にとって苦い思い出の方が多いかもしれない作品。(右の写真)『マイ・フェア・レディ』 ジェレミー・ブレット(左)、レックス・ハリソン(右)と
My_Fair_Lady

 ・ウィリアム・ワイラー監督との3作目『おしゃれ泥棒』(1966年)、スタンリー・ドーネン監督との3作目『いつも2人で』(1967年)に出演。
How_to_Steal_a_Million Two_for_the_Road
『おしゃれ泥棒』(1966年)
ピーター・オトゥール
『いつも2人で』(1967年)
アルバート・フィニー

Wait_Until_Dark-2
 ・盲目の人妻を演じた『暗くなるまで待って』(1967年/監督:テレンス・ヤングで、アカデミー賞の主演女優賞にノミネート(5度目)。当時の夫メル・ファーラーが製作した作品。
 (左の写真)『暗くなるまで待って』 ジュリー・ヘロッドと

 ・1968年、メル・ファーラーと離婚。1969年、40歳の時に30歳のイタリア人の精神科医アンドレア・ドッティと再婚し、1970年、次男ルカを出産した。
Andrea_Dotti Luca_Dotti
アンドレア・ドッティとの結婚式時 次男のルカと

 ・『ロビンとマリアン』(1976年/監督:リチャード・レスター)で9年ぶりに銀幕復帰。その後、『華麗なる相続人』(1979年/監督:テレンス・ヤング)、『ニューヨークの恋人たち』(1981年/監督:ピーター・ボグダノヴィッチ)に出演した。
 (右の写真)『ロビンとマリアン』 ショーン・コネリー
Robin_and_Marian

Bloodline
They All Laughed
『華麗なる相続人』(1979年)
ベン・ギャザラと
『ニューヨークの恋人たち』(1981年)
ベン・ギャザラと

Robert_Wolders
 ・1982年、アンドレア・ドッティと離婚。その後、再婚はしなかったが、オランダ人俳優のロバート・ウォルダーズと生活を共にした。
 (左の写真)ロバート・ウォルダーズと

 ・8年ぶりの劇場用映画『オールウェイズ』(1989年/監督:スティーブン・スピルバーグ)で、天使を演じたのが最後となった。
 (右の写真)『オールウェイズ』 リチャード・ドレイファスと
Always

 ・1990年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。授賞式では、出演作の監督、共演者の名前を一気に述べ、会場を盛り上げた。


youtube
 ・ゴールデン・グローブ賞。プレゼンターはグレゴリー・ペック



/UNICEF
 ・晩年は、ユニセフ(国際連合児童基金)の国際親善大使としての活動に尽力。その功績により、亡くなる1ヶ月前(1992年12月)に大統領自由勲章を叙勲された。

 ・1993年1月、スイスの自宅にて63歳で他界。


 ・亡くなってから2ヶ月後に開催された第65回(1992年度)アカデミー賞で、ジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。同賞を同時受賞したエリザベス・テイラーが、「(オードリーは)天国で愛する子供たちを見守っているでしょう」とスピーチした。

 ・1999年AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」で、女優部門の第3位に選出。

Audrey_Hepburn-3
Audrey_Hepburn-4


< オードリー・ヘップバーン作品リスト >   < オードリー・ヘップバーン写真館 >

< 前ページ >

HOME