20世紀・シネマ・パラダイス
思い出の子役スター
(出演時15歳以下)
< 3ページ目 >
ビリー・チャピン
Billy Chapin
(アメリカ)
サリー・ジェーン・ブルース
Sally Jane Bruce
(アメリカ)
『狩人の夜』
(1955年)
ビリー・チャピン(中央):出演時12歳
サリー・ジェーン・ブルース:出演時7歳
ロバート・ミッチャム
と
ビリー・チャピン … 生後間もなく、『クーパーの花婿物語』
(1944年)
に
ゲーリー・クーパー
の赤ちゃんとして出演。8歳の時にブロードウェイのミュージカル劇に出演し、ニューヨーク・ドラマ批評家協会賞の新人賞を受賞する等、子役として活躍していたが、15歳頃に芸能活動から引退した。2016年、72歳で他界。
(右の写真)『狩人の夜』 ビリー・チャピン、サリー・ジェーン・ブルース
サリー・ジェーン・ブルース… 父親はビッグ・バンドのリーダー、母親は歌手だった。子供の頃にステージで歌ったこともあったようだが、演技を披露したのは『狩人の夜』だけ。大人になってからは小学校の教師になったという。
(左の写真)『狩人の夜』 左から、サリー・ジェーン・ブルース、ビリー・チャピン、ロバート・ミッチャム
パブリート・カルボ
Publito Calvo
(スペイン)
『汚れなき悪戯』
(1955年)
:出演時6歳
初めて演技した『汚れなき悪戯』でカンヌ国際映画祭の特別子役賞を受賞。人気者となり、『汚れなき悪戯』のラディスラオ・バハダ監督が撮った『広場の天使』
(1957年)
等、14歳で芸能活動から引退するまでに合計8本の映画に出演した。2000年、51歳で他界。
サビル・バナールジ
Subir Banerjee
(インド)
『大地のうた』
(1955年)
:出演時6〜8歳
サタジット・レイ
監督は 新聞でオプー役を募集したが、眼鏡に適う子供がいなかった。そんな折、レイ監督の妻が、自宅の隣のアパートの屋上で遊んでいたサビル・バナールジを見つ け、オプーを演じることになったという。撮影は3年がかりとなったが、レイ監督はサビル・バナールジが声変わりをしなかったことは幸運だったと述懐している。父親が映画出演に反対だったそうで、その後は芸能活動をしていない。
エドアルド・ネヴォラ
Edoardo Nevola
(イタリア)
『鉄道員』
(1956年)
:出演時8歳
200名以上の応募者の中から選ばれて『鉄道員』に出演。健気な演技とナレーションで観客の涙を誘い人気子役となった。『鉄道員』のピエトロ・ジェルミ監督・主演の次作『わらの男』
(1958年)
にも出演した。成人後は俳優業の他、声優や歌手としても活動。
(右の写真)『鉄道員』 ピエトロ・ジェルミ(左)、サーロ・ウルツィ(右)と
アラン・ベクール
Alain Becourl
(フランス)
『ぼくの伯父さん』
(1958年)
:出演時12歳
出演作は1本のみ。
(左の写真)監督・主演の
ジャック・タチ
と
ジャン=ピエール・レオ
Jean-Pierre Leaud
(フランス)
『大人は判ってくれない』
(1959年)
:出演時14歳
『大人は判ってくれない』
(1959年)
、『二十歳の恋/アントワーヌとコレット』
(1962年)
、『夜霧の恋人たち』
(1968年)
、『家庭』
(1970年)
、『逃げ去る恋』
(1979年)
で、20年に渡って
フランソワ・トリュフォー
監督の分身とも言えるアントワーヌ・ドワネルを演じた他、同監督の『
映画に愛を込めて
アメリカの夜』
(1973年)、
ジャン=リュック・ゴダール
監督の『ゴダールの探偵』
(1985年)
等に出演。
フランソワ・トリュフォー監督(左)と
ジャン=リュック・ゴダール監督(手前)と
2016年、カンヌ国際映画祭のパルム・ドール名誉賞を受賞。フランス人男優では
ジャン=ポール・ベルモンド
(2011年)
に次いで2人目の受賞者だった。
(右の写真)2016年のカンヌ国際映画祭にて
カトリーヌ・ドモンジョ
Catherine Demongeot
(フランス)
『地下鉄のザジ』
(1960年)
:出演時12歳
300人の中から選ばれて主人公を演じた『地下鉄のザジ』
(1960年/監督:
ルイ・マル
)
で銀幕デビュー。その後、『女は女である』
(1961年/監督:ジャン=リュック・ゴダール)
、『銀行を焦げ付かせろ』
(1964年)
、『闇をつきぬけろ・真夜中の大略奪』
(1967年)
に出演。成人後は教師になった。
*
『女は女である』 … ザジ役でのカメオ出演
ヘイリー・ミルズ
Hayley Mills
(イギリス)
『ポリアンナ』
(1960年)
:出演時14歳
名優ジョン・ミルズの次女。赤ん坊の時に父親が主演の『許されざる女』
(1947年)
に出演。そして、父親が主演の『追いつめられて…』
(1959年)
で子役として本格的にデビューし、英アカデミー賞の新人賞を受賞。ウォルト・ディズニー製作の『ポリアンナ』
(1960年)
でアカデミー賞の特別賞を受賞した。
(右の写真)『罠にかかったパパとママ』
モーリン・オハラ
と
その後もディズニー映画『罠にかかったパパとママ』
(1961年)
、『夏の魔術』
(1963年)
、『クレタの風車』
(1964年)
、『シャム猫FBI / ニャンタッチャブル』
(1965年)
等に出演。成人後も女優として活躍している。息子は日本でも人気のあるロックバンド、クーラ・シェイカーのボーカル兼ギターのクリスピアン・ミルズ。
(左の写真)息子のクリスピアン・ミルズと
アカデミー賞の子役賞(特別賞)
12人の子役が通常よりもサイズの小さいオスカー像を受け取っているが、ヘイリー・ミルズが最後の受賞者となっている。
・
シャーリー・テンプル
(1934年/6歳:最年少)
・
ディアナ・ダービン
(1938年/17歳)
・
ミッキー・ルーニー
(1938年/18歳:最年長)
・
ジュディ・ガーランド
(1939年/17歳)
・
マーガレット・オブライエン
(1944年/8歳)
・
ペギー・アン・ガーナー
(1945年/14歳)
・
クロード・ジャーマン・ジュニア
(1946年/12歳)
・
イワン・ヤンドル
(1948年/12歳)
・ボビー・ドリスコール
(1949年/13歳)
・ジョン・ホワイトリー
(1954年/10歳)
・ヴィンセント・ウィンター
(1954年/7歳)
・ヘイリー・ミルズ
(1960年/14歳)
ボビー・ドリスコール
『わが心にかくも愛しき』(1949年)
ヴィンセント・ウィンター(左)、
ジョン・ホワイトリー
『
The Kidnappers
』(1954年)
ヘイリー・ミルズの小さなオスカー像は、彼女が入手して間もなく何者かによって盗まれてしまった。アカデミー協会に代わりのオスカー像を頂戴できるか問い合わせた時は、「
検討してみます
」との回答だったという…。
2021年、ヘイリー・ミルズが回顧録「
Forever Young
」 を出版。この中でオスカー像のエピソードを記載したことがきっかけとなり、2022年、アカデミー協会会長のデイヴィッド・ルービンから代わりのオスカー 像(通常サイズ)が贈呈され、ヘイリー・ミルズは約60年ぶりにオスカー像を入手にした。ちなみに、デイヴィッド・ルービンが初めて観た映画が『ポリアン ナ』だったそうです。
(右の写真)ヘイリー・ミルズとデイヴィッド・ルービン
< 前ページ >
<次ページ >
HOME