20世紀・シネマ・パラダイス

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エリザベス・テイラー

Elizabeth Taylor

 1932-2011(イギリス/アメリカ)

愛称:リズ (Liz)
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 ・『バターフィールド8』(1960年)を最後にMGM社を退社。史上最高額(当時)の100万ドルのギャラで『クレオパトラ』(1963年)に出演。正にハリウッドの女王となった。撮影中、彼女が気管切開の手術を受けるなど、様々なトラブルに見舞われ、完成までに4年、史上最高額(当時)の製作費を要し、20世紀FOX社が倒産の危機に陥る空前の失敗作となった。
 (右の写真)『クレオパトラ』 リチャード・バートン
Cleopatra-2

The_V.I.P.s
 ・『クレオパトラ』の撮影中に共演者のリチャード・バートンと恋に落ちた。バートンの次作『予期せぬ出来事』(1963年)のヒロインはソフィア・ローレンが候補だったが、リズは自ら売り込んで役を得た。
 バートンも既婚者で、2人の関係はスキャンダルとなり、世間からはバッシングを受けた。
 (左の写真)『予期せぬ出来事』 リチャード・バートンと
  

5度目の結婚 (1964年3月15日〜1974年6月26日)
 ・32歳の時にリチャード・バートンと結婚。エディ・フィッシャーとの離婚が成立してから9日後のスピード再婚で、彼女の結婚で1番長く続いた。
 (右の写真)リチャード・バートンと
Richard_Burton

 ・リチャード・バートンとの共演が続いた。『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年/監督:マイク・ニコルズ)では、役作りの為に体重も増やした。白髪交じりの頭で酒、タバコを飲み、口汚い言葉で夫役のバートンを罵った。子供の頃から美人と誉めそやされてきた女性が、よくぞここまでと言える醜態を演じて見せてた。
The_Sandpiper
Who's_Afraid_of_Virginia_Woolf-2
『いそしぎ』(1965年/監督:ヴィンセント・ミネリ
リチャード・バートンと
『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)
リチャード・バートンと

 ・『バージニア・ウルフなんかこわくない』で、2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞。1度目は病で死にかけたからの受賞だと自他ともに認めるところだったが、2度目は実力での受賞だった。
Who's_Afraid_of_Virginia_Woolf
  授賞式当日、リズはロケでイギリスに滞在中。マスコミが駆けつけたが、喜びの声を聞くことは出来なかった。主演男優賞候補だったリチャード・バートンが受 賞を逃していたからだ。夫婦揃っての受賞という夢が破れたため、また、バートンへの気遣いのため、リズはマスコミを追い返した。
 (左の写真)『バージニア・ウルフなんかこわくない』

The_Taming_of_the_Shrew
Doctor_Faustus.
『じゃじゃ馬ならし』(1967年/監督:フランコ・ゼフィレッリ)
リチャード・バートンと

『ファウスト 悪のたのしみ』(1967年)
リチャード・バートンと

 ・『禁じられた情事の森』(1967年/監督:ジョン・ヒューストンでは、4度目の共演が予定されていたモンゴメリー・クリフトが急死し、マーロン・ブランドと共演した。
 (右の写真)『禁じられた情事の森』マーロン・ブランドと
Reflections_in_a_Golden_Eye

The_Comedians
Boom
『危険な旅路』(1967年)
リチャード・バートンと
『夕なぎ』(1968年)
リチャード・バートンと

The_Only_Game_in_Town  ・1960年代末からリズの映画の人気は衰え、恩師ジョージ・スティーヴンス監督の『この愛にすべてを』(1970年)も興行的に惨敗。夫婦で共演した『Undr Milk Wood』、『Hammersmith is Out(1972年)の2作は日本では劇場公開すらされなかったが、『Hammersmith is Out』でベルリン国際映画祭の女優賞を受賞した。
 (左の写真)『この愛にすべてを』 ウォーレン・ベイティ

 ・ヘンリー・フォンダと共演した『別離』(1973年)では、夫の愛を取り戻すために全身若返りの整形手術を受ける人妻を演じた。作品の評価は芳しくなかったが、41歳でも衰えぬリズの美貌は賞賛され、ゴールデン・グローブ賞の主演女優賞にノミネートされた。
 (右の写真)『別離』 ヘンリー・フォンダと
Ash_Wednesday


6度目の結婚 (1975年10月10日〜1976年7月29日)
Richard_Burton-2  ・43歳の時にリチャード・バートンと2度目の結婚。離婚してから1年も経たずに再婚したが、1年もたずに離婚した。
 この時期、主演映画は話題にならなかったが、私生活は大きな話題となっていた。
 (右の写真)リチャード・バートンと。『いそしぎ』撮影時。

 ・アメリカとソ連の初の合作作品として注目を集めた『青い鳥』(1976年/監督:ジョージ・キューカーでは、チルチルとミチルの母親、光の精など4役を演じたが、作品は批評家から酷評され、興行的にも失敗作となった。
 (右の写真)『青い鳥』
The_Blue_Bird


7度目の結婚 (1976年12月4日〜1982年11月7日)
John_Warner  44歳の時に上院議員のジョン・ウォーナーと結婚。選挙活動等、夫のキャリアを支えるため、女優としての活動は少なくなった。
 (左の写真)
ジョン・ウォーナーと

 ・オールスター・キャスト作品『クリスタル殺人事件』(1980年)では、『ジャイアンツ』(1956年)以来、24年ぶりにロック・ハドソンと共演した。
 (右の写真)『クリスタル殺人事件』撮影時。キム・ノヴァク(左)、ロック・ハドソンと
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Private_Lives  ・1981年、49歳の時に、リリアン・ヘルマン原作の舞台劇「子狐たち」でブロードウェイ・デビュー。ブロードウェイでの2作目、ノエル・カワード原作の「プライベート・ライヴス」(1983年)では、前夫のリチャード・バートンと共演。バートンが1年後に他界したため最後の共演となった。
 (左の写真)舞台「プライベート・ライヴス」 リチャード・バートンと
* 「子狐たち」 … 1941年にベティ・デイビス主演で映画化(邦題:『偽りの花園』)された。
*
プライベート・ライヴス」 … 1931年にノーマ・シアラー主演で映画化(邦題:『夫婦戦線』)された。


8度目の結婚 (1991年10月6日〜1996年10月31日)
 59歳の時に建設作業員のラリー・フォーテンスキーと結婚。入院していた病院で知り合い、リズの親友マイケル・ジャクソンの自宅ネバーランドで結婚式が執り行われた。彼女の最後の結婚・離婚となった。
 (右の写真)マイケル・ジャクソン(左)、ラリー・フォーテンスキーと
Larry_Fortensky

The_Flintstones  ・『フリントストーン/モダン石器時代』(1994年)が最後に出演した劇場用映画となった。批評家から酷評された作品で、リズはゴールデン・ラズベリー賞の最低助演女優賞にノミネートされてしまった。
 (左の写真)『フリントストーン/モダン石器時代』

 ・TVドラマ「だって女優ですもの」(2001年)が、女優としての最後の作品となった。因縁浅からぬデビー・レイノルズとも共演したが、この作品の脚本を書いたのはデビーの娘、『スター・ウォーズ』のレイア姫キャリー・フィッシャーである。
 (左の写真)「だって女優ですもの」撮影時。左から、ジョーン・コリンズ、シャーリー・マクレーン、エリザベス・テイラー、デビー・レイノルズ
These_Old_Broads.

Jean_Hersholt_Humanitarian_Award  ・ロック・ハドソンの死(1985年)が契機で、エイズの撲滅運動、エイズ患者の救済活動に尽力した。その功績により、1992年度のアカデミー賞でジーン・ハーショルト友愛賞を受賞。授賞式の2ヶ月程前に他界したオードリー・ヘップバーンとの同時受賞だった。
 (左の写真)1992年度のアカデミー賞授賞式にて

 ・フランスのレジオンドヌール勲章(1987年)、AFI(アメリカ映画協会)の生涯功労賞(1993年)、全米映画俳優組合の生涯功労賞(1997年)、大英帝国勲章(2000年)、大統領市民勲章(2001年)等、数多くの賞や名誉を授かった。
 (右の写真)2001年、クリントン大統領と

 ・1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した「伝説のスター・ベスト50」で女優部門の第7位に選出。

Elizabeth_Taylor-2001

 ・2011年79歳で他界。

 ・宝石やドレスなどの遺品がオークションに出品され、売上は1億8400万ドル(約147億2000万円)に達した。それを含め、彼女が死後に稼いだとされる金額は1年間で合計2億1000万ドル(約168億円)。フォーブス誌による「故人長者番付」(2012年)でマイケル・ジャクソンを上回り、第1位となった(2013年は第4位)。クレオパトラもビックリ!。映画の都ハリウッドに君臨した最後の女王だった。


youtube
 エリザベス・テイラー トリビュート動画 (ナレーションはポール・ニューマン



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