20世紀・シネマ・パラダ イス

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ジョン・ ウェイン

John Wayne

   
1907-1979(アメリカ)

  
愛称:デューク(Duke )
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 ・『捜索者』(1956年)は、公開 当時の評価は決して高いものではなかったが、現在では、ジョン・フォード監督とのコンビの最高 傑作、ウエスタンの金字塔とされている。
 ジョン・ウェインは、同作品での役名「イーサン」を3男に授けている。
 (右の写真)『捜索者』
The Searchers-4

The Barbarian and the Geisha
 ・1957年、『黒船』(1958年/監督:ジョン・ヒューストンの撮影で初来日。ジョン・ウェインは初代駐日総領事タウンゼント・ハリスに扮した。
 (左の写真)『黒船』 安藤永子と

 ・痛快ウエスタン『リオ・ブラボー』(1959年)は、ゲーリー・クーパー主演の『真昼の決闘』(1952年/監督:フレッド・ジンネマンに対して、「市民に助けを求めるなんて、そんな弱腰な奴は保安 官の面汚しだ」ということで意気投合したハワード・ホークス監督と組んだ 作品。
 (右の写真)『リオ・ブラボー』
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 ・自ら製作・監督も兼ねた超大作『アラモ』(1960 年)は、テキサス独立戦争の「アラモの戦い」の映画化を思い立ってから、実に15年の歳月をかけて完成させた作品。
The Alamo  大ヒットしたが、1,200万ドル(推 計)という莫大な製作費を回収できず大赤字となった。
 アカデミー賞では、作品賞など7部門でノミネートされたが、通常の10倍もの費用をかけて、 「愛国者なら 『アラモ』 に投票を」といった大宣伝をしたことが逆に反感を買ったとされ、受賞は音響賞のみにとどまった。
 (左の写真)『アラモ』

 ・ジェームズ・ステュアートと 初共演した『リバティ・バランスを射った男』(1962年)が、フォード監督との最後の西部劇、そして、『ドノバン珊瑚礁』(1963年)が同監督との最後の作品となった。
 (右の写真)『リバティ・バランスを射った男』
 リー・マービン(左)、ジェームズ・ステュアート(中央)と
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The Longest Day  ・クラーク・ゲーブル(1960年没)、ゲーリー・クーパー(1961年没)も亡くなり、『史上最大の作戦』、『西部開拓史』(1962年)、『偉大な 生涯の物語』(1965年)といったオールスター・キャストの大作映画では、‟ハリウッドの顔”として貫禄ある勇姿を披露した。
 (左の写真)『史上最大の作戦』

 ・1964年、肺がんの為、左肺を摘出。5年後の検査でがんは見つからず完治したとされ た。

 ・1966年、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞を受賞。

 ・米国陸軍の協力の下で監督・主演した『グリーン・ベレー』(1968年) は、ベトナム戦争を支持するプロパガンダ映画として賛否両論となった。
 * 製作は長男のマイケル・ウェイン
 (右の写真)『グリーン・ベレー
』 一番左がジョン・ウェイン
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True Grit-2  ・『勇気ある追跡』(1969年/監督:ヘンリー・ハサウェイで、『硫黄島の砂』(1949年)以来2度目のアカデミー賞主演男優賞候補となり、念願のオスカーを獲得。
 (左の写真)『勇気ある追跡』

 授賞式では、感極まって目頭を押さえつつ 「35年前からアイパッチをつけておくん だった…」とジョークを飛ばした。同作でゴールデン・グローブ賞の主演男優賞も受賞した。
 (右の写真)オスカー像を手にするジョン・ウェイン
 プレゼンターのバーブラ・ストライサンドと
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  アカデミー賞主演男優賞受賞のシーン



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 ・3番目の妻パイラー・パレットと別居した1973年以降は、元秘書のパット・ステーシーと一緒に暮らしていた。
 (左の写真)パット・ステーシーと

 ・『マックQ』(1974年/監督:ジョン・スタージェスは、オファーを断ったことを後悔していたと言われている『ダーティ・ハリー』(1971/監督:ドン・シーゲル)に対抗して撮った作品。
 (右の写真) 『マックQ』
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Rooster Cogburn  ・『勇気ある追跡』の続編『オレゴン魂』(1975年)では、同年生れの大女優キャサリン・ヘップバーンと 初共演。
 (左の写真)『オレゴン魂』 キャサリン・ヘップバーンと

 ・『ラスト・シューティスト』(1976年/監督:ドン・シーゲル)が遺作となった。共演はジェームズ・ステュアート、ローレン・バコールなど。
 ウエスタン・ヒーロー、ジョン・ウェインの最後を飾るのに相応しい作品となった。
 (右の写真)『ラスト・シューティスト』
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 ・胃がんのため闘病生活に入ったジョン・ウェイン。1977年度のアカデミー賞授賞式の最 後で、司会のボブ・ホープがTVカメラに向かって語りかけた。「デューク、君がいないと 寂しい…。君の歩き方は誰も真似できない」。
 翌年のアカデミー賞授賞式。療養中のジョン・ウェインが作品賞のプレゼンターとして登場し、スタンディング・オベーションで迎えられた。「こ れ以上の良薬はない。アカデミー賞とは同じ年に仕事を始めた。年をとって少しくたびれたが、もう少し頑張る…」とスピーチ。

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 1978年度のアカデミー賞授賞式(1979年4月)でのジョン・ウェイン … 5分過ぎから



  ・1979年6月72歳で他界。日本の毎日新 聞は、「ミスター・アメリカ死す」と報じた。

 ・1980年、モーリン・オハラ、キャサリン・ヘップバーン、エリザベス・ テイラーグレゴリー・ペックフランク・シナトラ、ロバート・アルドリッチ監督等、 ハリウッドの仲間たちが働きかけた結果、大統領自由勲章が授与された。

 ・オスカーを獲得した役柄のルースター・コグバーン保安官と同様、酒を愛し、タバコ(キャメル)を日に5〜6箱吸うヘビー・スモーカーだった。チェスが大好きで、撮影の合間にはよくゲームを楽しんでいたという。
 (右の写真)『史上最大の作戦』の撮影合間にチェスを楽しむジョン・ウェイン (左)
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 ・ドル箱(マネーメイキング)スター・トップテンには、1949年に初登場して以来、1974年まで25年間連続でランクイン。その内第1位が4回。25回のランクインは最多記録であ る(2014年現在)
  アメリカにおいて最も人気のあった映画スターであり、同国が世界の覇権国家として君臨していた時代、強いアメリカを象徴する存在でもあった。
 (左の写真)カリフォルニア州のジョン・ウェイン空港に建てられた銅像

  ・ジョン・ウェインの墓標には、彼が好きだった次の言葉(スペイン語) が刻まれている。


Feo, fuerte, y formal   「彼は醜く、強く、威厳ある男だった

 ・AFI(アメリカ映画協会)が1999年に選定した「伝 説のスター・ベスト50」で、男優部門の第13位に選出。

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