20世紀・シネマ・パラダイス

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ジョン・フォード

John Ford

1894-1973 (アメリカ)

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 ・戦後に公開された最初の作品は『コレヒドール戦記』(1945年)。米国海軍に協力した作品で、監督名は「米国海軍予備隊指揮官(Captain U.S.N.R.) ジョン・フォード」とクレジットされている。フォード監督は、同作での報酬を海軍兵士のためのクラブハウス建設費として寄付した。
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『コレヒドール戦記』(1945年)
ジョン・ウェインドナ・リード、ロバート・モンゴメリー
『コレヒドール戦記』撮影時

 ・戦後に手掛けた最初の作品は『荒野の決闘』(1946年)。 『駅馬車』と並ぶ西部劇の古典的名作となった。本作の撮影に際し、エキストラや裏方の「フォード一家」に召集がかけられたが、戦死者も多く、フォード監督 はひどく落ち込んだという。西部の風景を詩情豊かに描き、ウエスタンを芸術作品とした名作だが、アカデミー賞では何故かノミネートすらされなかった。
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『荒野の決闘』(1946年)
 ヘンリー・フォンダ、ヴィクター・マチュア

『荒野の決闘』撮影時。フォード監督(サングラス)、
   ヘンリー・フォンダ(右)

 ・1946年、20世紀FOX社からの破格の条件での契約更新の提示を断り、メリアン・C・クーパーと 「Argosy Pictures」を設立。(1956年に解散)
 (右の写真) メリアン・C・クーパー(左)、
 フォード監督(右)
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 ・「Argosy Pictures」の第1作目は、ヘンリー・フォンダ主演の『逃亡者』(1947年)。脚本は、『男の敵』、『駅馬車』等のダドリー・ニコルズだが、製作中にフォード監督との間で亀裂が生じ、最後の協業となった。
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『逃亡者』(1947年)
ドロレス・デル・リオ、ヘンリー・フォンダ

『逃亡者』撮影時
ヘンリー・フォンダ(右)と


 ・「騎兵隊3部作」の1作目『アパッチ砦』(1948年)では、フォード監督作品の2大スター、ジョン・ウェインとヘンリー・フォンダの豪華共演が実現。
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『アパッチ砦』 ヘンリー・フォンダ(左)、
シャーリー・テンプル、ジョン・ウェイン

『アパッチ砦』撮影時
出演者、スタッフたちと

 ・『三人の名付親』(1948年)は、前年に亡くなったサイレント期からの盟友ハリー・ケリーの追悼として、彼が主演した『恵みの光』(1919年)をリメイクした作品。主役の1人を故人の息子ハリー・ケリー・ジュニアが演じた。
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3 Godfathers
恵の光』
ウィニフレッド・ウエスト、ハリー・ケリー

『三人の名付親』 左から、ペドロ・アルメンダリス、
ジョン・ウェイン、ハリー・ケリー・ジュニア  

 ・「騎兵隊3部作」の2作目『黄色いリボン』(1949年)は、3作の中で最も評価が高く、アカデミー賞で撮影賞(カラー部門)を受賞。カメラマンのウィントン・C・ホックは、前年の『ジャンヌ・ダーク』(監督:ヴィクター・フレミングに続き、2年連続での受賞。以後、フォード監督お気に入りのカメラマンとなり、アカデミー賞受賞作『静かなる男』や『捜索者』でも見事なカメラワークを見せた。
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『黄色いリボン』
ジョン・ウェイン、ベン・ジョンソン
『黄色いリボン』撮影時
ジョン・ウェイン(左)、ベン・ジョンソンと

 ・「騎兵隊3部作」の3作目『リオ・グランデの砦』(1950年)を監督。 両親の故郷アイルランドを舞台にした人情喜劇『静かなる男』の映画化を望んでいたが、GOサインを出す会社が無く、マイナーのリパブリック・ピクチャーズ社が、収益の見込める西部劇も撮ることを条件にGOサイ ンを出し、それで撮られたのが『リオ・グランデの砦』初めから3作を撮る予定ではなかった。
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『リオ・グランデの砦』 ジョン・ウェイン(左)、
モーリン・オハラヴィクター・マクラグレン
『リオ・グランデの砦』撮影時
ジョン・ウェインと

John Ford-5   1950年の映画監督組合の総会において、‟赤狩り”に協力する動議を提案したセシル・B・デミルを一蹴。フォード監督は、スター俳優だけでなく、エキストラや裏方なども同じスタッフ(=フォード一家)を起用し、大切にしていたことが知られている。政治的な主義主張が異なっていても、仲間を告発するような行為には我慢がならなかったのだろう。

 ・念願の『静かなる男』(1952年)を完成。
 リパブリック・ピクチャーズ社の不安を吹き飛ばす大ヒットとなり、アカデミー賞の作品賞など6部門でノミネートされ、4度目の監督賞と撮影賞(カラー部門)の2部門で受賞した。
 (右の写真) 『静かなる男』
 モーリン・オハラ、ジョン・ウェイン
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 ・アカデミー賞監督賞の4度受賞は最多記録。3度はフランク・キャプラウィリアム・ワイラーの2人のみ(2014年現在)。フォード監督は授賞式はいつも欠席で、この年はジョン・ウェインが代理人としてオスカー像を受け取った。
 (左の写真) 『静かなる男』撮影時。
 後列左から、兄のフランシス、ジョン・ウェイン、ヴィクター・マクラグレン、フォード監督。手前はバリー・フィッツジェラルド

 ・クラーク・ゲーブルと初めて組んだ『モガンボ』(1953年)も大ヒット。ゲーブル主演の『紅塵』(1932年)のリメイク作で、エヴァ・ガードナーグレース・ケリーが共演した。
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『モガンボ』
グレース・ケリー、クラーク・ゲーブル

『モガンボ』撮影時
クラーク・ゲーブルと


 ・『ミスタア・ロバーツ』(1955年)の撮影中、演出に異を唱えたヘンリー・フォンダを殴りつけ、黄金コンビが決裂。体調不良を理由に途中降板したフォード監督に代わり、残りの撮影はマーヴィン・ルロイが監 督がした。
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『ミスタア・ロバーツ』
ジェームズ・キャグニー(左)、ヘンリー・フォンダ
『ミスタア・ロバーツ』 撮影時
ジェームズ・キャグニー(左)、ヘンリー・フォンダと

 ・フォード監督の最高傑作との評価が確立されている『捜索者』(1956年)。公開当時はそれほど高い評価ではなく、アカデミー賞にはノミネートもされず、日本でもキネマ旬報のベスト・テンから漏れた。
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『捜索者』
ナタリー・ウッド、ジョン・ウェイン

『捜索者』撮影時

 ・イギリス映画『Gideon's Day(1958年)撮影中のフォード監督を黒澤明監督が表敬訪問。
 「黒澤明が選んだ100本の映画」の中では、『荒野の決闘』が選出されている。
 (右の写真)黒澤明監督(左)と
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 ・『騎兵隊』(1959年) では、ジョン・ウェイン、ウイリアム・ホールデンの2大スターが共演。
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『騎兵隊』
ウィリアム・ホールデン(左)、ジョン・ウェイン

『騎兵隊』撮影時
ジョン・ウェイン(左)、ウィリアム・ホールデン(右)と


The Alamo  ・フォード監督は、ジョン・ウェインが大スターとなってからも「木偶の坊」扱いをしていたそうだが、愛弟子のウェインが製作・監督した超大作『アラモ』(1960年)の撮影現場には、呼ばれてもいないのに顔を出していたとか。愛弟子の「木偶の坊」のことが心配だったのか。
 (右の写真) 『アラモ』 撮影時
 ジョン・ウェイン、フォード監督

 ・『リバティ・バランスを射った男』(1962年)では、ジョン・ウェイン、ジェームズ・ステュアートの2大スターが初共演。当時68歳のフォード監督は、この頃から急速に健康状態が悪くなり、左目は完全に失明したという。
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The Man Who Shot Liberty Valance
『リバティ・バランスを射った男』
ジェームズ・ステュアート(左)、ジョン・ウェイン

『リバティ・バランスを射った男』撮影時
ジェームズ・ステュアート(左)、ジョン・ウェインと

 ・西部開拓時代の50年を5話の連作で描いた超大作『西部開拓史』(1962年)の第3話「南北戦争」を監督。ジョン・ウェインと組んだ最後の西部劇となり、翌年の『ドノバン珊瑚礁』(1963年)がコンビの最後の作品となった。『駅馬車』 から24年。ハリウッド史上稀に見る黄金コンビだった。
 * フォード監督が1970年に完成させ、1976年に公開された海軍中将のドキュメンタリー 『Chesty: A Tribute to a Legend 』のナレーターをジョン・ウェインが務めており、それが最後のコラボレーション。
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How_the_West_was_Won
『西部開拓史』
ジョン・ウェイン(左)、ハリー・モーガン

『西部開拓史』撮影時
ジョン・ウェイン(左)と

 ・先住民シャイアン族の悲劇を描いた『シャイアン』(1964年)が、「西部劇の神様」フォード監督の最後のウエスタン、そして、『荒野の女たち』(1968年)が最後の劇場用映画となった。
 (右の写真)『シャイアン』撮影時
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John Ford-6  ・1973年3月、AFI(アメリカ映画協会)初の生涯功労賞を受賞。同年、大統領自由勲章を叙勲された。
 (左の写真)ニクソン大統領(左)と

 ・1973年8月79歳で他界。 


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