20世紀・シネマ・パラダ イス
キャサリ ン・ヘップバーン
Katharine Hepburn
1907-2003 (アメリカ)
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・第2次世界大戦後、ハリウッドに
‟赤狩り”
の嵐が吹き荒れる直前、キャサリンは自由主義者たちの集会に参加し、「
私たち の自由を更に価値あるものにするために闘う
」とスピーチ。その為、共産主義者との疑いをかけられ、出演作の上映を拒否する映画館もあった。
(右の写真)ハリウッドの「言論の自由会」のメンバーでもあった。
左から、
ハンフリー・ボガート
、キャサリン、
ローレン・バコール
、
スペ ンサー・トレイシー
『愛の立候補宣言』(1948年/監督:
フランク・キャプラ
)
スペンサー・トレイシーと
『アダム氏とマダム』
(1949年/監督:
ジョージ・キューカー
)
スペンサー・トレイシーと
・1950年、数年ぶりに古巣のブロードウェイで、シェイクスピア劇 「お気に召すまま」に出演。
・自身初のカラー作品『アフリカの女王』
(1951 年/監督:
ジョン・ヒューストン
)
で、9年ぶり5度目のアカデミー賞 主演女優賞候補に。
(左の写真)『アフリカの女王』ハンフリー・ボガートと
・スペンサー・トレイシーとの共演7作目『パットとマイク』
(1952年/監督:ジョージ・キューカー)
は、本人のお気に入りの1作。
撮影後、MGM社との契約を更新せず、舞台に出演。そして、2年間の休暇を取得した。
(右の写真)『パットとマイク』 スペンサー・トレイシーと
・3年ぶりの映画
『旅情』
(1955年/監督:
デヴィッド・リーン
)
で、アカデミー賞主演女優賞にノミネート
(6度目)
。
ベネチアの運河に落ちるシーンを撮影した際に、目を感染症に冒された。
(左の写真)『旅情』 ロッサノ・ブラッツィと
・1955年、オーストラリアでシェークスピア劇に出演。
・『雨を降らす男』
(1956年)
で、2年連続7度目のオスカー候補に。
(右の写真)『雨を降らす男』
バート・ランカスター
と
・『去年の夏 突然に』
(1959年/監督:
ジョセフ・L・マンキーウィッツ
)
では、共演の
エリザ ベス・テイラー
と2人揃ってアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた
(8度目)
。
(左の写真) 『去年の夏 突然に』
モンゴ メリー・クリフト
、エリザベス・テイラー(右)と
・『夜への長い旅路』
(1962年/監督:
シド ニー・ルメット
)
で、9度目のアカデミー賞主演女優賞候補に。
同作でカンヌ国際映画祭の主演女優賞を受賞した。
(右の写真)『夜への長い旅路』
ディーン・ス トックウェル
と
・1963年、スペンサー・トレイシーが病に倒れ、キャサリンは以後5年間、看病に専念し た。
・『招かれざる客』
(1967年/監督:
スタンリー・クレイマー
)
で、5年ぶりに銀幕復帰。スペンサーとのコンビで最大のヒット作となった。
スペンサーは病の体をおしての出演だったが、撮影終了後、作品が公開される前に帰らぬ人となった。
アカデミー賞では2人揃って主演賞の候補となり、キャサリンは2度目の栄冠を手にした。
(左の写真)『招かれざる客』 スペンサー・トレイシーと
・スペンサーの最期を看取ったのはキャサリンだったが、彼の妻に配慮して葬儀には出席しな かった。
・引退の噂も出たが、『冬のライオン』
(1968 年)
で見事な演技を披露し、2年連続で、史上初となる3度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞した。
*
『ファニー・ガール』のバーブラ・ストライサンドとのダブル受賞だった。
(右の写真)『冬のライオン』
ピーター・オトゥール
と
・1969年、ブロードウェイで、ファッション・デザイナーのココ・シャネルの伝記ミュー ジカル「
Coco
」に出演。ある日の公演で、カメラのシャッターに怒り、演技を中止するという騒動もあった。
・1974年、アカデミー賞授賞式に、『アダム氏とマダム』、『パットとマイク』等の製作者ローレンス・ワインガーデンへのアービング・G・タルバーグ賞のプレゼンターとして登場。
公の場を嫌い、オスカー候補となっても決して会場に姿を現さず、「欠席」がお約束となっていたキャサリンが登場したのは、後にも先にもこの年だけ。
(左の写真)アカデミー賞授賞式で。ローレンス・ワインガーデンと
・1970年代からはTVでも活躍。ジョージ・キューカー監督のTV映画「
Love Among the Ruins
」
(1975年)
、「
The Corn is Green
」
(1979年)
などに出演。
(右の写真)「
Love Among the Ruins
」撮影時
共演の
ローレンス・オリビエ
(左)、ジョージ・キューカー 監督と
・『オレゴン魂』
(1975年)
で、
ジョン・ウェイン
と初共演。2人は同じ1907年の5月生まれ。キャサリンが12日、デューク が26日生れ。
キャサリンの西部劇は、スペンサーと共演した『大草原』
(1947年/監督:
エリア・カザン
)
以来だった。
(左の写真)『オレゴン魂』 ジョン・ウェインと
・『黄昏』
(1981年)
で、
ヘンリー・フォンダ
と初共演。
ヘンリー・フォンダ(当時76歳)が、史上最高齢でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、キャサリン(当時74歳)は12回目のノミネートで、自らの最多受賞記録を更新する4度目の主演女優賞を受賞した。尚、授賞式は恒例のご欠席。
(右の写真)『黄昏』 ヘンリー・フォンダと
・1981年、ブロードウェイで「
The West Side Waltz
」 に出演。最後の舞台となった。
・1987年、『「アフリカの女王」とわたし』を出版。
・1991年、「Me - キャサリン・ヘップバーン自伝」を出版。大ベスト・セラーに。
(左の写真)最後の劇場用映画『めぐり逢い』(1994年)
製作・主演の
ウォーレン・ベイティ
と
・
1999年、AFI(アメリカ映画協会)が選定した 「伝説のスター・ベスト50」で、女優部門の第1位に選出。
・私生活では、当時としては珍しくスカートをはかずにパンツ・ルックで通 していたことも有名。年を重ねる毎にチャーミングになっていったのは人間性の現れか?
・本国アメリカでは、「自立した現代女性」の先駆者、シンボル的存在として、女優という枠を飛び越えた絶大な人気と尊敬を集めていた。
・
2003年
、
96歳
で他界。
(右の写真)遺作となったTV映画『
One Christmas
』(1994年)
アカデミー賞授賞式(2004年)での 追悼コーナーの動画。紹介者はジュリア・ロバーツ
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