20世紀・シネマ・パラダ イス

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     ウエスト・サイド物語
     West Side Story
     監督:ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ
     (1961年/アメリカ)
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   ◆ 主な出演者など

マリア役
トニー役
ベルナルド役
アニタ役
リフ役
Natalie_WoodRichard_BeymerGeorge_ChakirisRita_MorenoRuss_Tamblyn
ナタリー・ウッド
リチャード・ベイマー
ジョージ・チャキリス
リタ・モレノ
ラス・タンブリン

 ・1947年、ミュージカルの演出・振付家ジェローム・ロビンズが、現代のニューヨークにおいてもシェークスピアの
 「ロミオとジュリエット」 のような悲恋が成り立つと思い立ち、その考えを作家のアーサー・ローレンツと作曲家のレナード・バーンスタインに伝えた。
 ローレンツが、ユダヤ教の少女とカトリック教徒の青年の悲恋劇を書き、ニューヨーク のマンハッタンを舞台にしていたので、「イースト・サイド物語」 と命題された。
 しかし、同じテーマのコメディ劇 「Abies' Irish Rose 」 が既にあることが判明し、そのミュージカル版に過ぎないとして、ロビンズはプロジェクトを棚上げにした。
 (右の写真) 「ロミオとジュリエット」 を彷彿させるシーンでのリチャード・ベイマーとナタリー・ウッド
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 * アーサー・ローレンツ … 『旅情』 (1955年) の原作(戯曲) 「カッコウ鳥の頃」、『追想』 (1956年/主演:イングリッド・バーグマン)、
  『追憶』 (1973年/主演:バーブラ・ストライサンド)、『愛と喝采の日々』 (1977年/主演:シャーリー・マクレーン) 等の作者。
  ジェローム・ロビンズ、アーサー・ローレンツ、レナード・バーンスタインは3人とも両性愛者だった。

 ・1955年、バーンスタインがプロジェクトの再開を呼び掛け、ローレンツが、1940年代後半からニューヨークで急激
West_Side_Story_1957 に増加していたプエルトリコ系と.白人系のストリート・ギャングの対立を軸にした「ウエスト・サイド物語」 を書き上げた。
 (左の写真) 左から、スティーヴン・ソンドハイム (作詞)、アーサー・ローレンツ (脚本)、
  ハロルド・プリンス(演劇プロデューサー)、ロバート・E・グリフィス(演劇プロデューサー)、
  レナード・バーンスタイン(作曲)、ジェローム・ロビンズ (原案、演出、振付)。
  … ブロードウェイ・ミュージカル 「ウエスト・サイド物語」 の創作メンバーたち。

 ・1957年9月に幕を開けたブロードウェイ公演は大成功を収め、ジェローム・ロビンズはトニー賞の振付賞を受賞した。
 マリア役のキャロル・ローレンス (1932年生)、トニー役のラリー・カート (1930年生) は、年齢的に無理があると判断され、映画版のキャストからは外された。
 (右の写真) キャロル・ローレンス と ラリー・カート
  …
ブロードウェイ公演のオリジナル・キャスト。
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 ・ロビンズは演出に携わることを条件に映画化を承認し、ダンス・シーンについては彼が主導権を握って撮影された。しかし、彼の完璧主義者 ぶりは、撮影スケジュールの遅延、予算の超過が危惧される状況を招き、途中で解任させられた。その為、ロビンズが携わっていないダンス・ シーンもある。
 (左の写真) 撮影時のジェローム・ロビンズ監督(左) とロバート・ワイズ監督

 ・マリア役は、オードリー・ヘップバーン、スザンヌ・プレシェット、アナ・マリア・アルバゲッティ等が候補として挙がっていた。
 トニー役は、エルヴィス・プレスリーが候補だったが、マネージャーのパーカー大佐が首を縦に振らなかった。エルヴィスは出演しなかった (出来なかった) ことを悔やんでいたという。その他、タブ・ハンター、ウォーレン・ベイティ、バート・レイノルズ、リチャード・チェンバレン、トロイ・ドナヒュー等の名前が挙がっていた。
 (右の写真) リチャード・ベイマーとナタリー・ウッド 
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 ・ナタリー・ウッドの歌声はマーニ・ニクソンに、リチャード・ベイマーの歌声はジム・ブライアントに吹き替えられた。当初は本人たちの歌声を使用する予定だったらしく、録音もされていた。この吹替措置に、ナタリー・ウッドはひどく落胆した (激怒したとも) という。
 (左の写真) 歌の録音に臨むリチャード・ベイマーとナタリー・ウッド。
  ジョニー・グリーン (音楽監督、指揮者)と
 * マー二・ニクソン … 『王様と私』 (1956年) のデボラ・カー、『マイ・フェア・レディ』 (1964年) のオードリー・ヘップバーンの歌声も
  吹き替えている。


トゥナイト 」 ナタリー・ウッドの歌声が入っているバージョン

 ・タイトル、エンド・クレジットのデザインはソール・バスが手掛けた。壁の落書き風にデザインしたエンド・クレジットは、いかにもニューヨークの下町っぽくて秀逸な出来。
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 ・映画が公開されると、批評家からも観客からも絶賛され、‟街 (現実的な社会) へ出た初めてのミュージカル”、‟ミュージカルの新時代の扉を開けた作品” といった評価が確立された。
 特に、従来の夢物語のようなミュージカルには目もくれなかった若者たちをも惹きつけて大ヒットした。確かに、ジェームズ・ディーンやエルヴィス・プレスリーに憧れていた若者たちが、タキシードを着て踊っているフレッド・アステアに魅了されるとは思えませんもんね。
 日本では、丸の内ピカデリーが511日にわたるロングラン上映の新記録を打ち立てた。 (右の写真) シャーク団のダンス・シーン
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 ・サウンドトラックも大いに売れた。ビルボード誌のアルバム・チャートで54週間No.1という記録は未だに破られてい
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ない。第2位がマイケル・ジャクソンのモンスター・アルバム 「スリラー」 の37週間なので、「ウエスト・サイド物語」 の54週間はアンタッチャブルな記録だと言える。
 ちなみに、パーカー大佐が首を縦に振らなかった1番の理由は、サウンドトラックの独占権が得られないためだったという。何ともケチ臭い理由だ。
 (左の写真) ジェット団のダンス・シーン

 ・アカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演男優賞 (ジョージ・チャキリス)、助演女優賞(リタ・モレノ)、美術監督・装置賞
(カラー部門)、撮影賞(カラー部門)、音響賞、編集賞、ミュージカル映画音楽賞、衣装デザイン賞(カラー部門) の10部門で受賞した他、ジェローム・ロビンズが特別賞を受賞した。『ベン・ハー』 (1959年) の最多11部門には及ばなかったが、『恋の手ほどき』 (1958年) の9部門を上回り、ミュージカル映画としては最多受賞作品となった。(右の写真) 左から、ジョージ・チャキリス、ジェローム・ロビンズ、
 ロバート・ワイズ、リタ・モレノ … アカデミー賞授賞式にて。

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 AFI (アメリカ映画協会) が選定した各種のランキングでの順位。
 ・「アメリカ映画100年ベスト100」 (1998年選定) で第41位。
 ・「愛と情熱のアメリカ映画ベスト100」 (2002年選定) で第3位。
 ・「アメリカ映画主題歌ベスト100」 (2004年選定)
   「きっと何処かに 」 が第20位、「アメリカ 」 が第35位、「トゥナイト 」 が
   第59位。 
 ・「ミュージカル映画ベスト25」 (2006年選定) で、『雨に唄えば』 (1952年)
  次いで第2位。
 「トゥナイト 」 が、「きっと何処かに 」、「アメリカ 」 よりも下位なのがちょっと意外。
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 ・スティーヴン・スピルバーグ監督がリメイク中で、2020年12月に公開予定。
 トランプ大統領就任以来、アメリカ社会の分断と対立が顕著になった今だからこそ 「ウエスト・サイド物語」、なのかもしれません。
 リタ・モレノが出演するらしいですが、リチャード・ベイマーやジョージ・チャキリスのカメオ出演があるのか?も気になるところです。
 (左の写真) スティーヴン・スピルバーグ版 「ウエスト・サイド物語」


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  ピックアップ … リチャード・ベイマー、ジョージ・チャキリス

Richard_Beymer-2  Richard Beymer   1939-        (アメリカ)

 ・アイオワ州生れ。10歳の時にTV番組でデビューし、14歳の時に 『終着駅』 (1953年/監督:ヴィットリオ・デ・シーカで銀幕デビューした。
 代表作となった 『ウエスト・サイド物語』 (1961年) の他には、アンネ・フランクの恋人ペーターを演じた 『アンネの日記』 (1959年/監督:ジョージ・スティーヴンス、『史上最大の作戦』 (1962年) 等が有名。
 1960年代後半以降は主にTVで活動。「ツイン・ピークス」 のTVシリーズ (1991〜92、2017年) では、ラス・タンブリンと再共演した。
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『終着駅』 (1953年)
ジェニファー・ジョーンズ(左)、モンゴメリー・クリフト(右)と

『アンネの日記』 (1959年)
ミリー・パーキンスと

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『ウエスト・サイド物語』 (1961年)
ナタリー・ウッドと

『史上最大の作戦』 (1962年)
リチャード・バートン(左)と

 ・『理由なき反抗』 (1955年) でサル・ミネオが演じたプレイトウ役のスクリーン・テストを受けている。

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『理由なき反抗』 (1955年) のスクリーン・テスト時
ジェームズ・ディーン(左)、ナタリー・ウッドと



George_Chakiris-2  George Chakiris   1934-        (アメリカ)

 ・オハイオ州生れ。両親はギリシャからの移民。13歳の時に、キャサリン・ヘップバーン主演 『愛の調べ』 (1947年) の端役で銀幕デビュー。その後、マリリン・モンロー主演の 『紳士は金髪がお好き』 (1953年)ビング・クロスビー主演の 『ホワイト・クリスマス』 (1954年) 等にエキストラ出演した。

 ・舞台 「ウエスト・サイド物語」 のロンドン公演 (1958年〜) でジェット団のリーダー、リフを演じ、映画 『ウエスト・サイド物語』 (1961年) でシャーク団のリーダー、ベルナルドを演じて大ブレイク。アカデミー賞助演男優賞も受賞し、一世一代の当たり役となった。
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『ホワイト・クリスマス』 (1954年)
ローズマリー・クルーニーと

『ウエスト・サイド物語』 (1961年)
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『ブーベの恋人』 (1964年/イタリア)
クラウディア・カルディナーレと

『ロシュフォールの恋人たち』 (1967年/フランス)
 ・日本でも高い人気を誇り、日米合作の映画 『あしやからの飛行』 (1964年)に出演し、NHKの全4回のドラマ 「日本の面影」 (1984年) では、主人公の小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) を演じた。
 
 ・1996年のTVドラマを最後に俳優としては引退した状況で、その後はシルバーの宝飾品のデザイナーとして活動している。

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      「ウエスト・サイド物語」 ロンドン公演のリハーサル時
  ジョージ・チャキリス (左から2番目) と ジェローム・ロビンズ (黒服)


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