20世紀・シネマ・パラダ イス

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Humphrey Bogart-2

ハンフ リー・ボガート

Humphrey Bogart

 
1899-1957 (アメリカ)

 愛称:ボギー(Bogie)

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 ・1948年、映画製作会社「サンタナ・ピクチャーズ社」を設立。
 社名の「サンタナ」は、ディック・パウエルジューン・アリスン夫妻から購入したヨットの名前から採った。
 (右の写真)愛船「サンタナ号」で、ローレン・ バコール
Santana

 ・「サンタナ・ピクチャーズ社」は、ボギーの憧れのスターだった早川雪洲と共演した『東京ジョー』(1949年)、知られざる名作『孤独な場所で』(1950年/監督:ニコラス・レイ等、自身が主役の5作品の他に2作品を製作した。(1955年に会社を売却)
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『東京ジョー』(1949年)
早川雪洲(左)と
『孤独な場所で』(1950年)
 グロリア・グレアムと

The_African_Queen-2
 ・『アフリカの女王』(1951年/監督:ジョン・ヒューストンで、名女優キャサリン・ヘップバーンと見事な掛け合いを披露。
 アフリカでのロケ中、多くのスタッフが下痢や病気でダウンする中、水代わりにウィスキーを飲んでいたボギーとヒューストン監督は無事だったとの逸話 も。
 (左の写真)『アフリカの女王』 キャサリン・ヘップバーンと

 ・『アフリカの女王』でアカデミー賞主演男優賞を受賞。授賞式には、愛妻 バコールと売り出し中のマリリン・モンローを伴って来場した。
 (右の写真)バコール(左)、モンロー(右)、両手に花のボギー。タバコを指で摘むお決まりのスタイル。
Academy 1952

Bohie Oscar  ・アカデミー賞について、「みんなでハムレットでも演じればはっきりするさ」 と冷ややかな発言をしていたボギー。下馬評ではマーロン・ブランド『欲望という名の電車』が優勢だったが、ボギーも広告マン を雇って、しっかりとPR活動をしていたという。
 授賞式では、「コンゴ(ロケ地)からこの会場まで長い道のりでした…」 とスピーチした。
 (左の写真)主演女優賞のヴィヴィアン・リーの 代理人としてオスカーを受け取ったグリア・ガースン


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 アカデミー賞授賞式。プレゼンターはグリア・ガースン



 ・「サンタナ・ピクチャーズ」の最後の作品『悪魔をやっつけろ』(1953年)は、名コンビだったジョン・ヒューストン監督との最後の作品ともなった。『マルタの鷹』のパロディのような作品。
 (右の写真)『悪魔をやっつけろ』 ジーナ・ロロブリジーダ
Beat the Devil

The Caine Mutiny-2  ・長年の軍隊生活で精神を病んでしまった艦長を好演した『ケイン号の叛乱』(1954年/監督:エドワード・ドミトリク)で、3度目のオスカー候補となったが、この年はマーロン・ブラ ンド(『波止場』に軍配が上がった。
 (左の写真)『ケイン号の叛乱』 ロバート・フランシス(左)と

 ・『麗しのサブリナ』(1954年)撮影中、共演者のオードリー・ヘップバーンウィリアム・ホールデンが意気投合。また、ホールデンとビリー・ワイルダー監督は気心の知れた仲。1人爪弾きにされたと感じた?ボギーは、撮影中 始終不機嫌で、ワイルダー監督との関係も険悪なものになったという。
 (右の写真)『麗しのサブリナ』 オードリー・ヘップバーンと
Sabrina-1

The Barefoot Contessa
We're No Angels
『裸足の伯爵夫人』(1954年/監督:ジョゼフ・L・マンキーウィッツ
エヴァ・ガードナー
『俺たちは天使じゃない』(1955年/監督:マイケル・カーティス
ピーター・ユスティノフ(中央)、アルド・レイ(右)と

The Petrified Forest 1955  ・TVで自身の出世作「化石の森」を再演(1955年)。共演はヘンリー・フォンダとローレン・バコール。 バコールとの最後の共演となった。
 (左の写真)TVドラマ 『化石の森』 ローレン・バコール、ヘンリー・フォンダ(右)と

 ・名匠ウィリアム・ワイラー監督の『必死の逃亡者』(1955年)では、脱獄囚を好演。名優フレドリック・マーチとの共演で、第一級のサスペンス映画となった。
 (右の写真)『必死の逃亡者』 フレドリック・マーチ(左)と
The Desperate Hours

The_Harder_They_Fall
 ・『殴られる男』(1956年)が 遺作となった。
 (左の写真)『殴られる男』 ロッド・スタイガー(右)と

 ・食道癌で闘病生活に。ボギーは1日に5箱もタバコを吸うヘビースモーカーだった。
 フランク・シナトラなど多くの友人たちが見舞いに訪れ、険悪な関係だったビリー・ワイルダー監督を招いて謝罪をしたという。大親友だったスペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーンは頻繁に訪れ、 亡くなる前日も見舞っていた。

 ・1957年57歳で他界。葬儀では、ジョン・ヒューストン監督が弔辞を述べた。


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 ボギーの葬儀のニュース映像



 ・お世辞にも2枚目とは言えないが、クラーク・ゲーブルゲーリー・ クーパーといった同時代のスーパースターたちとは異なる男の色気で、多くの映画ファンを魅了した。スーパースターとなってからも、敵役、悪役を演じたことも魅力の1つだと言える。
 (右の写真)『カサブランカ』
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 ・AFI(アメリカ映画協会)が1999年に選定した 「伝説のスター・ベスト50」で、男優部門の第1位に。

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Humphrey Bogart-4

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